8月14日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第226弾! 

「たかやん議員日記」2006.第226弾!   8月14日(月)

お盆
僕らが小さい頃、お盆の時期には必ず富山の家に行っていた。僕らにとっては「夏休み」の楽しい思い出なのだが、父さん達にしてみれば「お盆」という大切な時間だったのだろう。多くの人が「お盆休み」で、その時期に帰省する仕組みになっているのだから、満員列車や大渋滞になるのはしょうがない・・・

墓参り
お墓を掃除して、ご先祖様に手を合わせる。当たり前のようなことが最近できていない。父さんはいつも自分の中にいるとしても、祖父ちゃんや祖母ちゃん、そして若くして戦死した叔父さんのことは、田舎に行って墓参りをする以外はなかなか思い出すこともない。お盆には富山に行けなかったけど、今度母さんを迎えに行くときに、お墓を掃除して、ちゃんと手を合わせて来ようと思う。

準急白山
僕達が使っていた汽車は準急白山。勿論当時は蒸気機関車でトンネルの度に乗客全員が窓を閉めるという、連帯感を毎回体験していた。トンネルが近づくと汽笛がなるのだが、ちょっとタイミングが遅れると、白山の煙が客車内に入ってきて、みんな煤だらけになってしまう。僕達3兄弟も何度も真っ黒になって、お互いの顔を見ては大笑いしたものだ・・・今の冷房がきいた新幹線では考えられないが・・・。

三兄弟
小さい頃はお袋が僕達三兄弟を連れて白山に乗せていた。混んでいるときは「網棚」をハンモックにして寝かされたこともある。今思えば、飲み物、食べ物、トイレは勿論、体の自由を制限されての長旅(多分13時間くらい)だった訳で・・・僕達もかなり我慢をしての帰省だった。それでも辛かったという記憶よりも、「楽しかったなあ・・」「そんなこともあったよね。」と楽しい記憶の方が強いのは、こどもとして幸せなことだと思う。どんなに貧乏でも辛い思いしても、家族がみんな元気で一緒にいられたら、人は幸せなのかも知れない。

家族
どんな家族でもいつかはバラバラになる日が来る。僕の家の場合は僕が北海道の大学へ行くことで、物理的には崩壊を始めた。やがて父さん自身が転勤になり、上の兄貴は東京、したの兄貴は千葉と、父さん・母さん以外は綺麗にバラバラになっていった。でも、家族であることには変わりはなかったのだと思う。年に一度だけど、正月に父さんのところに全員が集まって、わいわいやっていたから・・・。やがてみんな結婚をして、それぞれの家族を持ち始めたころ・・・父さんは死んだ。貧乏でも楽しかった「ひとつの家族」が父さんの死によって、精神的にもバラバラになりはじめたのだ。

家族が強制的にバラバラになるのが戦争だ。どんな大義名分があっても、戦争は幸せな家族をバラバラにしてしまう。だから戦争は絶対嫌なのだ。

今でも僕らは家族だけれど、あの頃の家族とは全然違う。母さんは今一人でいるし、(冬から春にかけては我が家の一員)、三兄弟もそれぞれ別の家族がいる。残念ながら、その三家族が全部一緒になることはない。そういう意味でも、一つの家族が父さんの死によって終わってしまったのだと思う。お盆というのは、「家族」にとって大切な、大切な時間なのかも知れない。昔の家族を思い出して、昔の家族と再会して、今の家族を大切にする・・・そういう時間なのかも知れない。    たかやん