8月15日 (火)  「たかやん議員日記」2006.第227弾! 

「たかやん議員日記」2006.第227弾!   8月15日(火)

靖国
やはり小泉純一郎は靖国を参拝した。「公約を果たした」ということらしい。国益よりも、自分の公約の方が大切だったのだろう。当選御礼といったところか・・・。ああいう人間を長い間、総理大臣にしてしまったのは僕達国民なのだから、僕らにだって責任はある。「郵政民営化」の言葉に騙されたのだ。今、国民生活が苦しいのも彼が総理であったことと大いに関係があるという当たり前のことに気づかなくては・・・。

「韓国や中国の言いなりにできるか!」という人たちも沢山いるが、それなら同じように「アメリカの言いなりにできるか!」と元気よく言って欲しい。国民が災害にあっても、殆ど知らん振りの国が「思いやり予算」でアメリカ軍にはジャブジャブ血税を使うのだからひどい話だ。

韓国や中国の反発はこれからだ。それはどういう形で出てくるか分からないが、いろんな意味で日本にとってマイナスなことは間違いない。

僕の叔父は靖国に祀られている。祖母ちゃんは毎年靖国にお参りに行っていた。その感情が正しいとか、間違っているとかは言えるわけがない。自分の愛する息子が、赤紙一枚で召集され、成人するまえに異国の地でアメリカの飛行機の爆撃をうけて、戦死してしまったのだ。その息子が、靖国にいる。祖母ちゃんはそう思っていたかったのだろう。それこそ心の問題なのだ。靖国に行けば、息子に会える。そう思っている母親の気持ちは誰も変えることはできない。

でも遺族の中には祀って欲しくない人たちもいるのだ。その気持ちを無視して、一宗教法人が勝手に祀ってしまう・・・それはおかしい。皇軍として戦い、死んでいった人たちは英霊になり、原爆や大空襲で死んでいった人たちは祀られることはない・・・人の命を勝手に区別することもおかしい。

A級戦犯
「あの東京裁判は戦勝国の軍事法廷なのだから、一方的に裁かれたわけであってA級戦犯そのものが存在しないのだ。」という人たちもいる。仮にそれが正しいとして。では、310万の日本人を死なせてしまったのはいったい誰の責任なのだ。アジアで2000万以上の人間が死んでいった(殺した)責任は、いったい誰にあるのだ。日本人自身がその結論を出さないで、「あれは仕方なくやった戦争だったんだ。」「アジアの独立のためにやった戦争だったのだ。」「数千万人死んでしまったけどね。」「しょうがなかったんだ」「責任なんか誰にもないのさ」と自己弁護をしながら、「お金で買えないものはない!」とアジアで偉そうにしていたら・・・・あっという間に「日本沈没」になってしまうのではないだろうか。

「今の日本は先の戦争で死んでいった英霊達のお陰でこんなに平和な豊な国になったのです。」と小泉純一郎は言うが、本当にそうだろうか・・・彼らがみんな生きていたら、もっと素晴らしい日本があったのではないだろうか。

第二次世界大戦の死者の多くは、ドイツと日本が侵略した地域に集中している。そして第一次世界大戦と一番違う点は、民間人の死者数が桁違いに多く、軍人以上に犠牲になっているということなのだ。ドイツと日本に共通していた「自分たちの民族の優越性」がたくさんの悲劇を生んだのだと思う。

近代兵器を使った戦争は相手の顔が見えない戦争だ。ミサイルを撃ち込む先に誰がいるのか・・・想像できるわけもない。エノラ・ゲイからリトルボーイを落としたアメリカ人達が想像できなかったように・・・。「黄色いサル」がどんなにもがき苦しんで死んでいっても、彼らにはどうでもいいことだったのかも知れないが・・・。

戦後61年
地球の温暖化で大変な時期に、戦争をやっている国がある。「正義の戦争だ」といって民間人が何人死のうが、平気で爆撃を続ける国がある。戦争に負けたことがないから、戦争をやめられないのかも知れない。日本は信じられないくらいの犠牲者を国内外に出し、戦争に負けた。日本はこの負けを忘れてはいけないのだ。戦後70年、戦後700年、戦後7000年というように、戦争とは無縁な国にならなくてはいけない。        たかやん