8月20日 (日)  「たかやん議員日記」2006.第232弾! 

「たかやん議員日記」2006.第232弾!  8月20日(日)

ウォッシュレット
朝からウォッシュレットが作動せず、ちょっとしたパニックに・・・。僕はいつの頃からかウォッシュレットがないとトイレに入れなくなるほどのウォッシュレット中毒?になってしまった。塾は勿論、富山のお袋の家にもウォッシュレットはあるし、奥さんの実家にも無理やり付けてしまった。よく遊びに行く妙高の友達の家でもウォッシュレットは当たり前。2階のトイレにもちゃんと付いている。心配していた市役所だが、議場のある2階にはウォッシュレット付きのトイレがあるので、ひと安心。僕の回りはウォッシュレットだらけ・・・視察などでどこかに止まる時も、非常口よりも前にウォッシュレットがあるかどうかを点検しているくらい、僕はウォッシュレット依存症になっている。

そんな僕のお尻を心配してか、札幌の友達がウォッシュレットを配備してくれた。僕達が泊まるのに間に合うように付けてくれたらしい。1週間も泊めてもらったうえに、そこまで気をつかってもらって・・・本当にありがたい話だ。また遊びに行かなくっちゃ・・・。

幸せ2
冷蔵庫が来た日のことも覚えている。それまでの冷蔵庫は氷を入れておいて、周りのものを冷やすというアイスボックスのようなものだったのが、正真正銘の電気冷蔵庫が来たのだから嬉しかった。毎日氷を作っては、カキ氷にして食べていた。

お風呂が出来るまでは、僕らは週に2度くらいしか銭湯へ行かなかった。どうしようもない時は、台所の流しに栓をして、「行水」なるものをしていた。今なら、キッチンのシンク?で子どもを洗っていることになる。湯沸かし器がある訳はないので、お湯を沸かして・・・・後で聞いた話では、お袋も夜中にそうやって入っていたらしい・・・。だから自分の家にお風呂が出来たときは、大金持ちになったような気分になって本当に幸せだった。

お小遣は毎日10円だった。それとは別に大好きな猛おじちゃんからつきに50円もらっていた。この月に50円というシステムは僕達が大学を卒業するまで続いた。僕達は10円というお金を貯金したり、一日でパッと使ったりして、我慢することの大切さやお金を一気に使う爽快感を覚えていったのだ。

僕が韓国ドラマを見て泣くのは、昔の家族を思い出すからだ。貧乏だったけど、父さんや母さん、そしておじさんがいて、兄貴達がいて・・・色んな事件が毎日のように起きたけど、涙がでるくらい幸せだった。新宿区百人町四丁目公務員住宅RC−11。僕はその小さなアパートで、父さんたちに、人生で一番大切なものを毎日もらいながら大きくなった。       たかやん