9月30日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第273弾!  9月30日(土)

「たかやん議員日記」2006.第273弾!  9月30日(土)

陵平・・・
6年前の今日、同じ土曜日の夜に担任からの電話があった。昨日の学年の先生達からの宿題の反省文を書いて、陵平は安心していた。お兄ちゃんの走太と一緒にテレビを見て、ゲラゲラ笑っていたのだから・・・。その電話で陵平の母親に伝えられたこと・・・それは来週親が学校に呼び出されることと、月曜日の学年集会での決意表明のことだった。中学校2年生の陵平にとって、どちらも辛いことだったろう。だけど本当に辛いのは学年集会での「決意表明」だったと僕は思う。そしてその辛さを共有できる友達がそばにいなかったことが、陵平の心を恐怖で一杯にしてしまったのだと思う。その当時の二中の状態を知らない親にとって、陵平の気持ちを感じ取ること・・・これもまた出来なかったことだっただろう。担任の先生だって、学年から言われて電話したはずなのだ。僕が不思議なのは、親とだけ電話で話したこと。学年集会のことがあるのだから、陵平自信とも話せばよかったのだ。そうすれば、少なくても担任は何らかの力になりえたはずである。それが残念で仕方がない。

30年前
僕が五中に赴任したのは今から29年前。その当時から「管理教育」の芽はあった。「少し許すとどんどんエスカレートしていく」「最初に締めないと駄目」そういう言葉は確かに聞えてきた。だけど当時は教員一人一人が個性的で、子供たちへの影響力もそれぞれ強く、同じ事を子どもがしても、みんな独特の接し方をしていた。そして学級のことは基本的に担任に任される・・・そういうシステムが暗黙のうちにあった。

仮に全く同じ事件が、あの当時の五中であったら・・・。まず、学年の教師が集まることはないだろう。休み時間の「お菓子」で親を呼び出すこともないだろう。学年集会のついでに「最近学校にお菓子を持って来ている生徒が多いようだが、学校に必要なもの以外は持ってこないことになっているだろう?」と、生徒指導担当が一応説教らしいことは言ったかも知れない。だけど「お菓子」が大変なこと、という感覚は誰も持っていなかったのではないか・・・。
その学年集会で僕が話すことになったら、「腹が減るのは朝飯をちゃんと食ってないからだ。あめを食った後に歯を磨いたか?食べたら磨けよな。」「いいか、どうしても腹が減ったら、理準にこい。俺が何とかしてやるから・・・ベランダなんかで隠れて食うな!」となっただろう。

さて、もしもあの事件が六中だったら・・・。学年会で話題にはなっていただろう。でもそんなつまらないことを事件にするほどの暇は誰も持っていなかったと思う。休み時間に煙草を非常階段で吸っているらしい・・・煙草の吸殻があったから・・・「了解!」とアンテナを高くして・・・休み時間に4階から2階の3年生の階段を急襲!喫煙の現場を見つけ、ゲンコツをくれる!「馬鹿タレが!」「ここは学校だ!」「ふざけるな!」「全員座れ!」
「おい、バケツに水を一杯にしてこい!」そして悪がき達を正座させ、頭からバケツ一杯の水をぶっかける。学生服ごとびしょ濡れになった悪がき達は非常階段の掃除をして・・・煙草とライターは没収して廃棄。それで一件落着。勿論、学年集会もなければ、学年会もない。ましてや親を呼ぶことなどありえない。クラスや理科の授業では「煙草を吸うと、脳をやられるぞ!」と禁煙教育はするが・・・。

今日僕は陵平の同級生達と話をすることができた。「軍隊みたいでした」「学んだこと?何もなかったっす・・」「学年集会はきついっすよねえ」彼らは自分たちの思いを素直に話してくれた。色んな話をした。時々陵平のことを忘れるくらい笑いもした。僕は今日、また陵平に少しだけ近づいたのだ。

あれから6年が過ぎた。初七日まで日参していた校長は勿論、二中の先生達は一人の先生以外、線香をあげにも来なければ、墓参りにも来ない。陵平の同級生達は来ているというのに・・・“先生”として、人生の先輩として、子供たちに見せることがあるのではないだろうか・・・。黙って時が過ぎるのを待っているのだろうか。やがて陵平の世界へ行くときにあわせる顔があるのだろうか・・・。今日は陵平が小さな心を痛めた日。二中の先生達は9月30日のことを覚えているだろうか・・・

もう誰もあなた方のことを責めたりしませんよ。ただ一人の人間として、悔いの無いように生きて欲しいだけです。今度、陵平の墓参りに行きます。一緒に行きませんか?連絡をお待ちしています。   たかやん