1月17日 (水)  「たかやん議員日記」2007.第17弾!   1月17日(水)

「たかやん議員日記」2007.第17弾!   1月17日(水)

ホームレス
あの阪神大震災から12年が経った。12年前の僕はホームレス。長男の亮と二人で、車の中で生活していた。あの頃の生活をもう一度できるかと聞かれたら・・・うーん、やれば出来るだろうけど、したくはない。というのが本音。家がないというのは、生きてる基盤がないようで、やはり辛い。それでもあの時の事がいい思い出なのは、家族がいたからだろう。12年前、僕にとっての家族は息子一人だけだった。あの息子がいたから、僕はあの環境で、あの時期、希望を失わないで生きていけた。何があっても、亮だけは一緒にいてくれたから、僕は頑張れた。マイナス5度のあの日の朝、僕らは凍える体を寄せ合ってパジェロの中で寝ていた。僕にとって、1月17日は阪神大震災を思い出す日であると同時に、家族に感謝する日でもある。家族がいるから、どんなことがあっても生きていける。僕はホームレスだった100日間をずっと忘れない。

年賀状
あの年、困ったのは年賀状。家がないのだから、年賀状が届く訳がない。それでも1枚の年賀状がその年、“我が家”に届いた。あて先は「新座市立第六中学校の池の前のパジェロ」。絵付きの年賀状は昔の先輩からのものだった。その年賀状を届けた郵便局もなかなかやるなあと思ったのを覚えている。

二郎と神さん
塾から帰って来ると、直弘から電話があった。神さんが亡くなったことを知って、電話してくれたのだ。「二郎は神さんのクラスだったんですよ。」「そうだ、1年1組だった。」「今頃、神さんに怒られてますよ、きっと。お前なんでこんなところにいるんだ!来るのがはやすぎるって。」「そうだなあ、神さんならきっとそう言うな。」
直弘と神さんはどうしているだろう。1年1組の素敵な担任に二郎はうまく会えただろうか・・・・。神さんは直ぐに見つかるだろうが、二郎を見つけるのは大変。小さかった中学生が、立派な大人になっているから・・・・。

午前3時半
直弘からの電話の後に、「たかやん。篠も英ちゃんも待ってるよ!」というメールが来ていた。「今から?俺、風呂にも入ってないよ。」とメールを返すと、「みんな入ってないよー!」(みんな、明日仕事でしょうが・・・・)
結局、それから僕はみんなと合流し、五中10期生と六中5期生の合同飲み会が終わったのは、3時前。今は3時半。ふーっ・・・きつい。     たかやん