3月26日 (月)  「たかやん議員日記」2007.第85弾!  3月26日(月)

「たかやん議員日記」2007.第85弾!  3月26日(月)

能登沖地震
お袋のお母さんの実家は能登の寺だ。応仁の乱で能登へ逃れた畠山家の血筋らしいが、本当のところは分からない。何せ昔の話なのだから・・・・
昨日、今日と緊急連絡網のようなものがまわったらしく、電話がよく鳴った。お袋のことをみな心配してくれているのだ。富山にある父さんの実家がある町もかなり揺れたらしい。地中から音がしたというから恐ろしい・・・地震・雷・火事・おやじと昔から、恐れられてきたが、おやじ以外は本当に恐ろしい気がする。

生涯学習宣言都市
市役所の前を通ると、「生涯学習宣言都市」と書いた赤い看板が立っていた。これは「看板に偽りあり」である。生涯学習を保障するなら、公民館やコミセンは無料が当たり前。市民の血税で造った公民館・コミセンで市民は堂々と勉強にスポーツに励んでいいはずだ。それこそみんなが元気な街になれば、医療費の削減に繋がるというものだ。公民館・コミセンを有料化して得られる市の収入はわずかに1600万円ほど。これを財政難だからというのは詐欺に等しい。本当に財政難だったら、必要の無い東久留米・志木線に53億もかけられる訳がない。

「買った土地はどうするんだ!」
この間の討論の時に、元気よく野次った人がいた。東久留米・志木線に関する意見を言った時のことだ。その答えはここにある。僕が尊敬する明賀先生の2月のブログにこうある。

東国原新知事の「小さいけれど、大事な決断」と「埋没原価」
個人の人生経営でも、経営者の会社経営でも、コストに対する考え方で判断を過つことがしばしばあります。
「ここまで努力して来たのだから」
「ここまでコストをかけたのだから」
「ここまでお金を投資したのだから」
といって未来の情況をしっかり確認しないまま、今やっていることを継続してしまいます。
 滋賀の新幹線の新駅も新しい県知事嘉田由紀子氏は、建設中止の旗を掲げて当選しましたが、建設賛成派は「すでに投資したXX億円がムダになる」といいます。ダムの建設でも、諫早の干拓も同じです。みすみすムダになるプロジェクトを止められないのです。
 この
「過去に投じたXX億円」
「過去に使ったコスト」
「ここまでの努力」
これらを埋没原価(サンクコスト)といいます。すでに過去に使ってしまったエネルギーです。さてそのプロジェクトを継続するか否かを決断をするときにどんな判断をすればいいのでしょうか?
 そのプロジェクトを継続する場合に新たに追加しなければならない「コスト、努力」と、そのプロジェクトが完成した折に得られる期待収益とを、比較勘案すればいいのです。これを”増分”といいます。過去に使ってしまったエネルギー(埋没原価)は無視して、未来の増分だけで考えなければいけません。
 多くのひとが「ここまでつぎ込んだのだから」と、過去につぎ込んだエネルギーに捕らわれて、多くの収益を期待できないプロジェクトを継続してしまい、大事なエネルギーをムダにしていまうのです。うすうす詐欺だと気付きながら、つぎ込んでしまう投資話、含み損を抱え込んでスリープしてしまう個人投資家も同じです。
 含み損はすでに発生してしまった過去です。その銘柄を保有し続けるかどうかの判断は、未来です。その銘柄の株価が上がると判断すれば、一度損を確定して、即座に同じ銘柄を買い直せばいいのです。かかる増分コストは買い戻す手数料だけです。損を確定することで、「そのまんま」ではなく、判断、決断が入ります。買い戻す手数料は、判断コストなのです。ここは「そのまんま」ではなく、判断、決断が大切なのです

東久留米・志木線にこれまで使った税金は約20億。そしてこれから使おうとしているお金は約33億。果たして、これから33億かける価値があの道路にあるだろうか・・・僕が言いたいのはそこなのだ。与党のみなさんに本当に考えて欲しいことはそこなのだ。1440Mの道路に33億の価値がありますか?この財政難の新座市が33億、これからかける価値があると本気で思っているのですか?今までかけたお金は「埋没原価」なのです。失った20億よりも、これからの33億の方が大切だという考えはないのでしょうか・・・・
財政が苦しくて、公的施設や学校がボロボロな時に、道路に金をかけて誰が喜ぶのだろうか・・・「市民の声を市政に!」と本気で思っている人なら、それが分かるはずだ。日本中で必要の無いダム建設が止まらないのは同じ理由なのだ。これが僕の答えだ。たかやん