4月26日 (木)  「たかやん議員日記」2007.第116弾!  4月26日(木)

「たかやん議員日記」2007.第116弾!  4月26日(木)

編集後記
いつもイニシャルだった市議会便りの編集後記を実名で書くことになった。いつもイニシャルを見て、(えーとこの人は多分○○さんだな)と僕らでも推測していたのだから、市民の方達には分かり易くていいだろう。字数の問題だと言っていたが、イニシャルも漢字も僕の場合は二文字。堂々と名前を書いた方が気分がいい。今回の僕は「菜の花祭り」で泣いたことを書いてしまった・・・。

菜の花祭り
観光推進室の企画で菜の花祭りが行われた。僕は観光都市づくりには大反対をしているが、この企画はよかったと思う。沢山の人が訪れ、そして楽しんでいたから・・・・。むさしのハーモニカクラブの演奏もよかったし、新座市少年少女合唱団の歌は本当に心に響いた。推進室の人たちは、かなりの苦労をされたと思う。きっと優秀な頭脳と心意気があったのだろう・・・。来年も菜の花祭りには行きたいと思う。今度は家族みんなで行こう。そしてまた一番前の席で歌を聴きたい。推進室のみなさん、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました!

3年前の市議会便り
資料を整理していたら、3年前の市議会便りがでてきた。僕の一般質問の見出しは「生徒指導に間違いはなかったのか」それに対する教育長の答弁は「校長が正しいと判断したことです」となっている。読んでいたら腹が立ってきた・・・・

邑・・・教育問題の中で、子どもの命ほど大事なものはないと、私は思っています。生徒がベランダでお菓子を食べ、その時先生達が皆で反省文を書かせ、親に通報し、学年集会で決意表明をさせるという指導には間違いがなかったのですか。彼が充分に反省していたことは反省文を見れば分かります。教師が本気にならなくてはいけないことは、他にたくさんあるはずなのに、私の目から見て、このアマチュアのような指導に間違いはなかったと、今でもそのようにお考えでしょうか。

教育長・・・お菓子を食べることは、たいしたことではない。この辺あたりから見解が違うのです。小さなことの積み上げが、大きなことになります。こういうところから学校生活の崩れが出てくるのだというのが学校の判断です。一所懸命の情熱を持って、一所懸命規則を作って、しっかりとした学校生活を送りなさいという学校の姿勢にはカウンセリングマインドがあったと考えています。その時の校長が精一杯判断したことて、結果は当然出てくるものであろうと私は思っています。それを正しいとか正しくないとかという判断を私からはできません。

何に頭にきたかというと、小さなことの積み上げが大きなことになる。という言葉だ。この言葉は僕が新任で赴任した五中でも聞かされた言葉だった。その言葉を信じた全国の若い教師達はスカートの丈を物差しで計るようになり、長い前髪をハサミで切るようになっていった。1秒でも遅刻すれば重い鉄製の校門を勢いよくよく閉め、生徒を挟んで死なせる教師まで出てきたのである。自然に日焼けして赤くなった髪を無理やり黒く染める教師もいた・・・。小さなことを少しでも見逃したら、大変だと・・・体罰で大怪我をさせた教師もいた。子ども達の心をどれほど傷つけても、小さいことを見逃さないことの方が大事なんだと思い込んだ教師は全国にたくさんいただろう・・・。現場を知らないということは恐いことだ。

もう一つは、その時の校長が精一杯判断したことを、正しいとか正しくないとか判断できない。そう言い切っていることだ。子どもの命が失われても、精一杯判断したことだから、間違っているとはいえない。そういう感性が信じられない。おかしな校長が一所懸命間違った判断をしたら、正しいという理屈なのだろうか・・・

全国の教育長が似たような答弁をし、全国の学校が似たような対応を遺族にしてきた。情報を隠し、残された子ども達を守るためと言って、実は自分たちを守ってきた。前教育長も教師達を守るためにこういう答弁をしてきたのだろう。

3年前の3月議会・・・下手っぴいな一般質問だったけど、きっと一番熱かった時のことを思い出して、眠れなくなってしまった。             たかやん