5月12日 (土)  「たかやん議員日記」2007.第132弾!  5月12日(土)

「たかやん議員日記」2007.第132弾!  5月12日(土)

9日の夜
金沢で犀川の散歩からの帰り道。21時56分に教え子の大力からメールがきた。「午後8時34分に息を引き取りました。」そして「ご心配ありがとうございました。父親はたかやんを信頼して、大力の第二の父親だって、よく言ってました。」というメールが続いた。
2年前、元気だったお母さんが突然、癌で亡くなり、今回はお父さんが癌で逝ってしまった。両親がこの世からいなくなるという悲しみを僕はまだ経験していない。

みやぎ
今日は三人で大力のお父さんの告別式に参列した。群馬県の鼻毛石というところにある、宮城中学校がお父さんの母校。その母校のすぐ裏で告別式はおこなわれた。

同級生
告別式には大力のお父さんの同級生がたくさん来ていた。沢山の友達に囲まれて、大力のお父さんは幸せだったんだなあと思った。


茂子さんという姪の方が、お別れの言葉を読み上げた。その言葉の優しさに、会場はみんな泣いた。告別式でみんながハンカチで涙を拭くのを見るのは初めてのことだった。

お兄さん
「功!俺一人になっちまったじゃねえか!」棺の前で大声で泣き叫んだのが、お父さんのお兄さん。弟を失った兄貴の苦しさが滲み出ていた。そこでもみんな泣いた。

孫、そして嫁
大力の長女は嗚咽していた。そして奥さんも一緒に咽び泣いていた。お父さんに可愛がってもらったのだろう。それがよくわかった。

大力
最後に大力の手を握った。「ずっと堪えてきたのに、たかやんの顔を見た途端に駄目だった。とボロボロ泣く大力。」
20年前のクリスマスイブ。僕は41度の熱を出し、それでも気合で朝練に行った。それを知った大力も39度の熱で朝練に来た。僕らはいつも一緒に戦っていた。「日本一になる!」という夢を、ずっと最後まで一緒に見ていた。全国大会の準決勝で相手のミスジャッジに動揺し、5−6と追いつめられた大力。そして、大力の打ったボールがアウトして5−7で負けたとき、大力は泣いた。僕達の夢が破れた瞬間だった。それ以来、初めて見た大力の涙は、あの時の涙より悲しくて、そして悔しい涙だった。        たかやん