5月28日 (月)  「たかやん議員日記」2007.第148弾!  5月28日(月)

「たかやん議員日記」2007.第148弾!  5月28日(月)

職員会議2
笠原議員が退職した10年後に僕は退職した。彼の経験は13年。僕の経験は21年。教師としての経験の差はそのまま議員としての経験の差にもなっている。今の学校の話を聞くと、いい時期に経験させてもらったのかな・・・と思う。15年前の六中でこういうことがあった。体育祭の応援団を無くすという原案が職員会議に出たのだ。僕は勿論大反対。職員会議で原案反対の先頭にたった。しかし、原案は強い。体育祭の応援団を楽しみにしていた子ども達はそれを聞いて燃えた。そして、3年生は全校生徒の署名を集め、それを持って校長に直訴した。原案は引っくり返った。その年の体育祭は盛り上がった。そして体育祭の後、校庭で校歌を歌って泣く生徒達と、彼らと肩を組んで泣きながら歌う教師達の姿があった。そして、それを見て泣く保護者の姿も・・・・。子ども達のエネルギーを引き出すのが教師の仕事。そして教師のエネルギーを引き出すのが校長の仕事。少し前までは粋な校長がいたのだ。当たり前のことが分かっていないと、学校の力は低下していく。

職員会議3
僕の最後の職員会議はひどいものだった。広島へ行くと学年会で決定し、保護者会まで開いていた修学旅行の計画が校長の一言で覆されたのだ。理由はくだらないことだった。
○ 京都・奈良に比べて費用がかかる。
○ 職員の拘束時間が長い。
○ 新幹線の中で乗客にお茶をかけられる可能性が高い。
勿論本当の理由は別のところにあった。広島への修学旅行そのものが気に入らなかったのである。二中は組合色の強い学校であった。組合の「平和教育」は煩わしい・・・それが本当のところだろう。

その職員会議で僕はこう反論した。「僕が二中へきて、良いと思ったことが3つだけあります。一つは合唱祭。一つは体育祭のムカデ。そしてもう一つが広島への修学旅行です。奈良・京都よりも費用が高いと判断するのは保護者と生徒です。内容がよければ高いとは感じないものです。職員は誰も拘束時間が長いと言っていません。京都・奈良へ行ったって、他の乗客とトラブル可能性はあります。意味が分かりません!」この突然の行き先変更には保護者、卒業生から数千名の署名が提出されたが、校長は「一部の保護者が反対しているようだが・・・」と全く取り合わなかった。先生達と管理職の息が合わないと、学校は上手く機能していかない・・・。それは子ども達が一番強く感じるものなのだ。そして僕も当時の二中の余りの息苦しさに21年間の教師生活をやめようと決意したのだった。僕のストレスは子ども達にはゼロに近く、管理職には100に近かった。あの管理職達がいなければ、今の僕は存在していないはずだ。子ども達との関係は最高に楽しかったから・・・・。だから、今もどこかの中学校で教壇に立ち続けていただろう。陵平の問題が取り上げられることも泣く、ジャージ問題も噴出せず、教育長のストレスは小さかったかも知れない。勿論、僕は彼らに感謝している。今の仕事を与えてもらったことを・・・新しい生き方を与えてくれたことを・・・。

慶応病院
何も僕が生まれた病院で死ななくても・・・・。松岡農林水産大臣が自殺したと聞いて、ビックリした!死ぬ覚悟があるのなら、「ごめんなさい!」と謝って、辞任すればよかったのだ。僕は推理小説が好きだから、「本当に自殺かなあ・・・」と疑う気持ちも少しある。許せないのは、お母さんを残して自殺してしまったこと。子どもとして、一番してはいけないことだと思うから・・・。ずっと悪役をやってくれると思っていたのに、残念だ。それにしても「金と政治」の問題は後を絶たない。政治献金そのものを無くしてしまえばいいのに・・・。
              たかやん