5月3日 (木)  「たかやん議員日記」2007.第123弾!  5月3日(木)

「たかやん議員日記」2007.第123弾!  5月3日(木)

日本国憲法
60歳になったらしい。憲法の平均寿命がどれくらいなのかは知らないが、日本人の平均寿命を考えても、まだまだ若い憲法あることは間違いないだろう。しかも、この60年の間に日本が一度も戦闘に参加することなく、他国の兵士を殺すことなく、かつ自衛官の命を守ってきたのだから、偉い憲法なのである。戦争に負けた国の軍隊は常に、戦勝国に利用され、最前線へ送られてきたことを考えると、なんとまあありがたい憲法であることかが分かる。朝鮮戦争、ベトナム戦争で自衛隊員が死んでいないのは奇跡以外の何ものでもない。自衛隊は僕と同じ歳だが、国民から愛されて続けてきた軍隊は珍しいのではないだろうか・・・。取りあえず、100歳になるまでは今のままの憲法で充分だと思う。憲法前文を今日も暗誦して、100歳まで長生きすることを祈るとしよう。

面影
家族3人で自転車に乗って、野寺の教え子の家に遊びに行く途中・・・女の子二人とキャッチボールしているお父さんに会った。番地は石神3丁目。横顔にかすかな記憶があった。そして家庭訪問の時の記憶が確か石神3丁目だったような気がしたのだ。一度は通り過ぎたのだが、気になって・・「すみません。○○君ですか?」と声をかけた。すると「そうです。」「文夫君?」「はい。」「分かる?」「先生ですよね。いや、若く見えたから、違うかと思って・・・」「1年3組だったよね」「そうです」「もう41歳?」「いや42です。」「そう・・・」28年前の13歳の頃の文夫の面影が残っているのが嬉しかった。石神に越してきて、懐かしい顔に出会うことが多くなった。ずっと忘れていた名前が突然蘇ってくることに今日も感謝したのだった。

応援団
文夫に会う前に六中の卒業生のN君とも久し振りにあった。「覚えてますか?」「勿論」「Nです」「うん、わかるよ。何ジャージだっけ?」「青です」「誰の代だっけ?」「康介とか・・・」「俺、何で覚えているんだろう・・・応援団だった?」「そうです。団長が青木の時の副団長です」授業に出ていなくても、部活が全く違っていても、一緒に応援団に燃えた子ども達の名前は覚えているものだ。五中も六中も応援団には燃えに燃えた。部活の練習を放り出したくらい練習をした。何であんなに燃えたのか自分でも分からない。応援団の打ち上げで、どこかの「食べ放題」の店の駐車場で人間ピラミッドを作って、「フレー!」と大声を出して怒られたこともあった。応援団では日本的に有名な石神井高校の応援団。高校の時はテニス部で応援団には入れなかったけど、中学校の体育祭ではその応援団のイメージで中学生達と「青春」をしたのかも知れない。N君のお陰で久し振りにあの日のことを思い出したのだった。                         たかやん