7月7日 (土)  「たかやん議員日記」2007.第188弾!  7月7日(土)

「たかやん議員日記」2007.第188弾!  7月7日(土)

七夕
僕の望みはなんだろう・・・。やっぱり新座の学校をよくすることかな。地域の人間にとって、学校をよくするということは地域をよくするということだ。和田中のように、地域が学校を作っていく・・・そういう発想がないと、これからの公立は潰れてしまう。自由化が進めば、力の無い学校は生徒数が減っていく・・・。それでは困るのだ。

開放感がない・・
期末テストが終わったというのに、子ども達は「ノート提出」やら「問題集」提出で勉強を続けている。昔の子ども達のような、テストが終わった!という開放感がなく・・・“成績”に縛られた生活が続く。僕は授業態度やノートで評価をした記憶がなく、常にテストだけの成績で評価をしてきたので、余計に違和感がある。「先生は忙しい!」「子ども達はストレスから解放されない」と言いながら、お互いに疲れることをやっているように思えてしょうがない。
テストが終わった!さあ、遊ぶぞ!さあ部活だ!
そういうメリハリがあるからいいのであって、ほんのちょっとしたことまで“成績”や“内申”に影響がでると思っている子ども達は、成績のために委員会に入り、成績のために生徒会をやり、成績のために部長をやるようになる。そして先生達も自分の指示に従う子を(授業態度がいい)と勘違いして評価をし、自分の指示に従わない生徒の評価を不当に下げる。
先生達はそんなに勉強ができたのかな?僕も含めて東大に行ったわけじゃあないし、みんな大したことはないのではないのかな?そういう先生達の勉強法は本当に正しいのかな?賢い子ども達は疑問に思って当然である。

昔、祐二という子がいた。理科の授業のノートを取らないことで有名だった。「何でとらないの?」と聞くと「集中して聞いているからいらない」と答えた。テストをやってみると、確かに満点近い。祐二は3年間ずっとノートを取らず、理科が5だった。彼は今なら「ノート提出していないから、評価を下げます」と4か3になっていただろう。
彼は自分の頭というノートを上手に活用していたのだ。子ども達の可能性は、僕ら凡人が決め付けてはいけないのである。

問題集については、「問題集の使い方」は教えるが、問題集の提出などということに時間を使ったことはない。そんなことをしていたら、子ども達も自分も部活ができなくなってしまう。勿論、問題集の答えは最初に配る。授業をやったら、子ども達が直ぐに家で勉強できるようにするのだ。試験の前にだけ、問題集の答えをコピー・印刷して渡すなど、第一違法だろう。校長は見てみぬ振りをしているのか、知らないのかは分からないが・・・正しいことではないことは間違いない。

藤原校長ではないが、学校モードが長すぎるとロクなことはないのだ。先生達は授業と部活に集中する。それ以外のことは地域のボランティアに任せてしまうくらいの気持ちでいれば、先生も生徒も楽しく学校生活が送れるのではないだろうか・・・・・。
授業中で歩いたら、地域のおっさんがゲンコツをくれる。掃除の時間はおせっかいなおばさんがガミガミ怒る。そんな学校も夢ではないだろう。地域の教育力を学校で発揮してもらうことはできるはずだ。余裕の無い先生に生徒指導はどだい無理なのだ。無理をするから、教師も生徒も疲れてしまう・・・。学校は教師も生徒も成長するところでなくては困る。みんな本当はそう思っているはずだ。                               たかやん