8月14日 (火)  「たかやん議員日記」2007.第226弾!  8月14日(火)

「たかやん議員日記」2007.第226弾!  8月14日(火)

のの様
「パパ、いましんごうあかだったよ!」「のの様におこられるよ」と空。青梅街道から右折した時に、右側の信号が赤だったのだ。(当たり前)「空、大丈夫だよ。パパは悪いことしてないからね。」「でも、しんごうあかだったよ」「あのね、曲がる時はいいんだよ」「でもあかだと、のの様がおこるよ」
空の幼稚園は仏教系。どうやらいつでもどこでものの様が見ているらしいのだが・・・・のの様を信じている空に説明するのは難しい訳で・・・。どうやら空の中では「パパは悪い人」になってしまったらしい。

炎天下
午前中を所沢で過ごし、昼過ぎに一人我が家に戻ってきた。庭の花たちに水をやり、着替えをしてテニスコートへ・・・・そうなのだ。炎天下の中でテニスをやろうというのだからどうかしている。

習慣
それでも、コートに行ってみると、夏休みの懐かしい感覚が蘇ってきて、(特に五中、六中のテニス部のOB/OG達は)「おらー!行くぞー!はしれー!」とみんな元気にボールを追いかけたのだった。今日は1時から3時過ぎまでやったのだけれど、昔は朝6時から8時頃まで毎日やっていたのだから・・・・・うーん。やっぱりどうかしていたんだなあ・・・。

アメリカ合州国
7組の植田涼と黒目川の土手で語った。「できたらアメリカの大学に留学したいと思っているんです」と涼。『いいねえ。俺も行きたいなあ・・去年、一昨年か、ただでアメリカに行けたのに、教育委員会が許可してくれなくって、駄目になったからなあ・・・頭固いからなあ。』と笑う俺。
小さい頃、水遊びをしたことがあるという涼。久し振りの黒目川らしい・・・。『面白いと思わない?黒目川って海へ行くだろう?太平洋に注いでいる訳だろう?太平洋ってアメリカにつながっているじゃん。』「うん」ちょっと汚い、黒目川をぼんやりと眺めながら、アメリカ合州国を想う、涼と俺であった。
*植田涼は本当は赤ジャージで入学するはずだった。西堀小時代に給食を運んでいて、滑って転び、頭を強く打ってもどしたのだが、救急車も呼んでもらえず、安静にもされず、その時の不適切な処置が原因で後遺症が残ってしまい、一年留年した子だった。この会話は1990年の6月16日の会話である。理科の授業で黒目川に来ていたときの話だ。先月か先々月か・・・堀の内病院で涼に会った。20年以上経った今でもリハビリに通っているらしい。
学校が涼を動かさないで救急車を呼んでいれば涼は赤ジャージの子達と元気に勉強していたはずだ。
事故はどこでも起こりうる。その殆どが人の判断ミスからくるのだ。                    陵平のこともそうだが、何年経っても忘れてはいけないことはあるのである。たかやん