9月16日 (日)  「たかやん議員日記」2007.第258弾!  9月16日(日)

「たかやん議員日記」2007.第258弾!  9月16日(日)


少し夜明けが遅くなってきた気がする。5時はまだ薄暗いのだ。今朝の空はもう秋の空だった。バランスボールと遊びながら、秋を感じていたのだった。

布団干し
最近、天気がいいと、毎日のように布団を干している。物干し竿だけでは足りないので、椅子やらなんやら色々なものと庭に置いて、干している。これも習慣で、毎日干していると、干さない日がおかしく感じられるのだ。今日は母さんの布団も干した。

賑やか
今日は午後から教え子達が2組遊びに来てくれた。満寿子と努は着替えを持ってきて、お風呂にも入ってくれて・・・もう家族の雰囲気。来週結婚するゆかこは彼氏を初めて紹介してくれた。賑やかなことはいいことだ。石神に越してきて本当によかった。

応援団
早速卒業生たちからメールが来た。「応援団に入ります!」というメールだ。もう新座市にいない子達も、「校歌を忘れているかも知れないけど、応援したいので!」とメールをくれた。

兎に角中学校を応援しよう。色々大変みたいだけど、五中人はずっと五中が好きだし、六中人もずっと六中が好きなのだ。頑張る先生達そして子ども達を応援していこう。

僕は新座中や四中、そして三中の校歌は歌えないから・・・・誰から応援団長になってくれたらと思う。何があっても、応援していく・・・母校というのはそういうものだと思う。

竹刀
昨日の五中の体育祭で、懐かしいお母さんと話をした。「先生?今、あの時のように竹刀を持って、教室で生徒を叩いていたら、どうなるんでしょうねえ?」とYさん。「うーん、まず新聞には載るでしょうねえ」「でしょ?最近の子達はやわでいけません」
僕は確かに「ケツ竹刀」なるものを日常的にやっていた。「精進様」という固い棒を持って、頭をゴンとやっていた仲間もいた。
僕自身も何かをやらかすと、生徒達に「ケツ竹刀」で叩かれたのだから笑ってしまう。僕のお尻を叩く生徒は希望者多数で、いつもジャンケンだった。僕は黒板に手をつき、子ども達は歓声をあげて、僕のお尻を叩いた。ケツ竹刀の激痛は100回を越えると感じなくなるということを知ったのだった。

給食の時間に早く校庭に出すぎたときは、加藤教頭に職員室前の廊下に正座させられたっけ。3年1組の男子全員と担任は正座をして、許しを請うたのだった。「しょうがねえなあ・・・」と許してくれた。いい時代だった。

第31回体育祭。僕は第1回から10回まで五中の体育祭の応援団の担当だった。応援合戦に燃え、子ども達と一緒の笑って、そして泣いた。打ち上げも子ども達と一緒だった。何もかもが、一緒にやっていた時代だったのだ。最初の体育祭からもう30年も経っている。僕はまだ23歳だった。あの時から、何もかもが変わったけれど、あの校歌だけは変わっていない。神さんの声が聞えるのだから凄い・・・・・。       たかやん