9月21日 (金)  「たかやん議員日記」2007.第263弾!  9月21日(土)

「たかやん議員日記」2007.第263弾!  9月21日(土)

体が重い・・・
6時前・・庭で体操をするが、体が重い気がした。「議会疲れ」って奴かも知れない。神経を使ってないようで、使っているのかも・・・。それでもたっぷりと汗をかいて、お風呂で声を出していたら、少し元気になってきた。

五中の校長
「たかやん、五中の校長先生凄いんだよ!」と二年生の女の子。「何が凄いの?」「あのね、校長室にね、生徒全員の顔写真貼ってあるの。名前入りで・・・」「いい、先生じゃない。俺も校長だったらやるよ。」「それにね、校長先生が掃除するんだよ!」「そっかあ・・・キノッピーみたいだね。いい先生じゃない。よかったね!」「うん」

五中の初代校長は、中村敞一郎。酒が強く、僕らとどんなに飲んでも、次の日の朝の職員会議にはピッとしていた。新任が6人いたのだが、気がつくと全員の家の「家庭訪問」をしていた校長だった。毎月、給料日の次の金曜日には「和室」で飲み会があったなあ。残念なことに1年で校長をやめ、教育長になってしまったから僕らは取り残された気分になったものだ。僕は暫く敞一郎のことを「校長」と呼んでいた。僕にとっては彼はいつまでも「校長」だったのだ。校長でいて欲しかったのだ。そんな僕を敞一郎先生は随分可愛がってくれた。本当に暖かい人だった。

五中の3代目の校長は山口常義。校長室の前を通る子ども達を名前で呼び止める人だった。「好きです五中」というキャッチフレーズの発案者で、大矢教頭とのコンビは職員は勿論、子ども達にも大人気だった。大矢先生は全ての運動部の練習に参加する。そんな教頭先生だったのだ。二人に共通していたことは、授業をやっていたということ。二人とも「根っからの先生」だったのだと思う。大矢教頭は社会を・・・山口校長は誰かが年休で休むと授業をやってくれた。僕も子ども達も二人の先生が大好きだった。

五中の9代目の校長は川島勝治。五中時代に9つ上の甲神・木下・川島という3人の先輩に憧れて、僕らは育っていった。僕は部活で甲神嵒に勝とうとし、学級通信で木下保則に勝とうとし、クラス経営やお話で川島勝治に勝とうとして頑張った。彼らはいつも僕の目標だったのだ。3人とも埼玉大学出身で、授業が上手だったことも共通していた。三人とも校長になったが、みんな先生達にも生徒達にも人気があった。子ども達に対する愛情と先生達への信頼が厚い校長だったからだろう。

今のA校長先生は多分11代目くらいの校長なのだと思う。(違っていたらごめんなさい)この間の体育祭の閉会式の後、校庭で子ども達が「解散式」をやっている姿を、A校長は目を細めて見ていた。そして生徒達は突然「こうちょう!」「こうちょう!」と校長コールを始めたのだ。体育祭の練習の過程できっと生徒達との触れ合いがあったのだろう。A先生は生徒達の方へ駆けて行き、「みんなよく頑張った!感動した!」と叫んだ。子ども達はウォーという歓声と拍手で校長のメッセージを受け取った。
子ども達を見ていた校長は、今日も、廊下ですれ違う生徒達に声をかけるのだろう。「○○君、速かったねえ」「○○さん、ムカデ頑張ったね」と・・・・。こうして体育祭の頑張りは、2学期の勉強に続いていくのだ。                  

速い
六中のテニスコートのポールが倒れそうなので、3時頃、教育委員会へ行った。「ちょっと危険なので、見てもらえませんか?」と新井教育総務部長にお願いすると、「分かりました。火曜日に見に行かせます!」とのことだった。そのことを伝えに六中のコートへ行くと、菅野教頭と市役所の人二人がコートを見に来てくれたのだ。市役所が「子ども達の安全」の為に迅速に動くということはいいことだ。スポーツ施設の暑さ対策もちゃんと考えてくれているようだし、なんだか嬉しいな。                 たかやん