11月7日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第312弾! 2008.11.7(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第312弾! 2008.11.7(金)   たかやん

幸せ
あの頃僕は間違いなく幸せだった。父さんがいて、母さんがいて、おじちゃんがいて、兄貴達がいて・・・無いものはお金や物。今の僕と比べたら、間違いなく貧乏のどん底。そんな生活だったと思う。新大久保の公務員宿舎の間取りは3K。テレビが無いのは当たり前。電話や冷蔵庫、洗濯機だってない家が沢山あった。それこそソファーに腰掛けテレビを見たり、車に乗って出かけることが「夢」だった時代だった。泥んこまみれで遊んでばかりの僕だったが、友達は沢山いたし、遊びも毎日が「冒険」のような遊びだった。戸山の練兵場跡の防空壕にもぐったり、山手線の線路の中で遊んだり・・・木に登って、塀を乗り越えて・・・野球をやって、缶けりして・・・兎に角毎日、毎日が幸せでしょうがなかった。学校に行けば、大好きな向後先生がいて、家に帰れば母さんがいる。日曜日になると父さんと猛おじちゃんやおじちゃんの友達の林さんが碁を打って・・僕らは将棋をしたり、トランプをしたり・・・父さんは労働省の中央労働委員会にいて、やっと課長補佐になっても給料は5万円ほどだったか・・・。お風呂に行くのは2日に一度がいいところ。汚くても全然平気だった。僕は末っ子だったから、おじちゃんには本当に可愛がってもらった。御伽噺を聞きながら、おじちゃんと一緒に寝るぬくもりは今でも忘れない。隣の家の岸野家とは親戚同然の付き合いだった。特にくに子ちゃんには可愛がってもらった。僕は小学校3年生までくに子ちゃんと女湯に入っていた。多分くに子ちゃんは中学生だったと思う。まるで本当のお姉ちゃんのようだった。
あの頃の日本はどこも同じようなもの。たまに車を持っているお金持ちがいたとしても、お金持ちの子どもも同じ小学校に通っていた。学校の先生は今より遥かに厳しかったが、今より遥かに温かく、そして優秀でもあった。そんな時代、僕は幸せだった。

御茶ノ水、教育大、学芸大
今思うと、小中学校そして高校と僕が習った先生は優秀な人たちが多かったとだと思う。大学で人を見ることはよくない。でも、こういう大学に優秀な先生が多かったことは事実だと思う。僕が大好きだった向後先生は御茶ノ水、田口先生は学芸大、河合先生も川島先生も東京学芸大、そして古川先生は東京教育大。当時の最高水準の教育を学んだ先生達に僕は教えてもらっていたことになる。みんな読書家で話が面白く、授業のレベルはかなり高かったのだと思う。西戸山も石神井も優秀な先生が多かった。そういう先生達に習う子供たちは幸せだった。それに比べて僕はまだまだだ・・・。

警察
それは今朝7時過ぎの1本の電話で始まった。僕は小さい頃に「いたずら電話」したとき以来、久しぶりに“110番”に電話をした。昔の教え子から「今から死にます。ごめんなさい」という電話があったのだ。「今、練炭に火を付けました」「馬鹿!直ぐ消せ!」「無理です。もう消せません」「ふざけるな!」ガチャ。ここで110番をした。警察の反応は速かった。直ぐに地元の警察に連絡が行き、そして本多の交番に連絡が行き、我が家におまわりさんがやってきて・・・教え子はギリギリのところで助かった。お母さんは電車に飛び乗って教え子の病院に向かった。

子ども達、よく聞きなさい。親より先に死んではいけない。何があっても、親より先に死んではいけないのだよ。君達が生きている間に親は死ぬ。それでいいのだ。君達にとって一番大事な人が死ぬ。悲しいけれど、それはしょうがないこと。誰でもそれに耐えられるようにDNAは設定されている。親は君達より先に死んでいい。君達が生きている間に必ず死ななきゃいかんのだ。だけど君達は駄目だ。親より先に死んではいけない。親を亡くす子どもの悲しみよりも子どもを失う悲しみのほうが何十倍も何千倍も何万倍も大きいのだよ。親になれば分かる。自分の目を、腕を、足をそして命をこどもにならあげられるようになるから・・・。

ブッシュにノーなら小泉にもノーだ
アメリカ国民がブッシュにノーを突きつけた。アメリカをボロボロにしたのだから当然のことだ。日本国民も小泉にノーを突きつける機会が来たということだ。ブッシュと大の仲良しのインチキ政治家にノーを言うには、総選挙しかない。しかし、インチキ政治家は二人とも姿を消す。残るのは負の遺産だ。郵政民営化は“愚策”もいいところだった。派遣法などの規制緩和もアメリカのいいなりになって、日本をボロボロにした。正規雇用が少ない国に幸せはこない。給付金などにごまかされてはいけない。あれもインチキだ。

名人戦
日本シリーズも面白いが、囲碁の名人戦も白熱していた。7番勝負に勝ったのは張栩(ちょうう)28歳の青年名人である。そう言えば最近碁石を握っていない。相手がいなくても、昔の名人達の碁を並べることはできる。頭も鍛えないと呆けるからなあ・・・・。首が回らない、こういう時にこそ静かに碁盤と向き合うのもいいかも知れない。

だいすけ
昨夜の勉強会では小野だいすけと、そして今日は市役所の前でスーツ姿の平松だいすけとバッタリ会った。新座市議会の若手の二人は勉強家である。勉強をしている人は魅力がある。年齢には関係ない。いくつになっても魅力のある人間でいたいものである。

運転
薬が本当に効いてきた。首が回るようになってきたのだ。車に乗るときにちょっと痛いが、運転はできるようになった。首のわっかも外した。シャツも自分で脱げるようになった。昨日はトイレに入っても、ウォッシュレットのボタンを押すことができなかったのに・・・回復が早いのはまだまだ肉体が若いから・・・そう思うようにしている。

空の手
空の手は、いままで握ったどの女の子の手より小さく、そして柔らかい。彼女達のときのように、ドキドキすることはないけれど、自分がこの手を守るんだ!そういう気持ちになる。今日も空を小児科に連れて行くときに、空の手を握った。そして、それだけで幸せを感じた。
http://www.takayan-world.com/cheeringparty/     たかやん