2月24日 (日)  『一生懸命』たかやんの議員日記 第54弾! 2008.2.24   たかやん

『一生懸命』たかやんの議員日記 第54弾! 2008.2.24   たかやん

起き上がれない・・・
どうも体がおかしい。朝、お風呂に入って、絶好調!と言うはずが、そのまま布団に横になってしまった。そして熟睡。昼寝とかいうレベルではない。夢を見るくらい眠ってしまった。咳が止まらず、熱もある。困った・・・。

イラストレーター
それでも、明日の駅立ちで配布する『一生懸命』の作成に燃えた。新しいB4タイプのものを作り、印刷してみる。ところが、どうもしっくりこなくて・・・結局A4タイプの形に戻したのだった。それにしてもイラストレーター(ソフトの名前)は奥が深い。まだまだ未熟者のたかやんであった。『一生懸命』は完成したが、明日の朝は配れそうもない。あと1週間先になりそうである。

子ども達
それでも塾の子ども達と会うと元気になるから不思議だ。昔からそうだったが、子ども達の顔を見ていると、気持ちで復活するのだ。今日も3時間があっという間に過ぎていった。

エイト
今回の選挙で一週間、ずっと車の運転をしてくれたのがエイト。小学校の先生からは「要指導」とブラックリストにあげられていた少年が、テニス部に入り、ダブルスで県のチャンピョンになる。シングルスも強く、全国大会まで団体戦では一度も負けなかった男である。彼は足が速かった。お父さんは県の中学生の記録保持者だったというDNAは本物で、高校時代は100Mをスパイク無しで10秒台で走ったというのだから凄い。そしてエイトは高校へ行っても、ダブルスで優勝したのだ。サウスポーから繰り出されるサーブは切れがよく、まともに入ると返せないほどだった。大学は東海大に進学が決まっていたが、お父さんが倒れ、農業を継ぐことに・・・・僕の塾の子ども達は、何度もエイトの農園で農業体験実習をやらせてもらった。そんなエイトが今回の選挙では7日間、ずっとハンドルを握ってくれた。1年生の時の担任の為に、そしてテニスの師匠の為に・・・・僕は教師を辞めたけれど、子ども達との関係はいくつになっても続いている。本当に幸せなことである。

ジャンコ
エイトと同じ1年1組にその子はいた。純という少年と純子という女の子がいた為に「じゃんこ」と呼ばれるようになった女の子は、陸上の選手だった。毎日、毎日ひたすらトラックを走り続ける中距離ランナーである。そのジャンコが僕の議会報告『一生懸命』の作成を手伝ってくれている。イラストレーターを駆使しながら、僕が書いた文を組み込んでいく。今回、名前を『一生懸命』にしたのもジャンコの影響である。彼女達にとって、『一生懸命』は中学時代の宝物だったのだ。そして僕にとっての宝物はジャンコ達だったのである。

満寿子
ジャンコのクラスに満寿子もいた。今はひとみの親友のような満寿子だが、1年生の時の3年生は遠い存在だったらしく、最初はずっと「野口さん」と呼んでいた。今では「ひとみちゃん」である。満寿子も今回の選挙では東大泉から毎日のように駆けつけてくれた。満寿子が来ると我が家が明るくなる。雰囲気というものは中学時代から変わらないものかも知れない。満寿子を見ているとそう思う。この間は五中のサッカー部だった努も一緒に泊まっていった。二組の夫婦と子ども達が一つの部屋に寝るのだから面白い。全員が五中だからかな。

舞ちゃん
フラフラだけど、明日の舞ちゃんだけは行かないと・・・。そして舞ちゃんに元気をもらおう。駅立ちは諦めた。みなさん、来週まで待っててください。
http://www.takayan-world.com/cheeringparty/         たかやん