3月16日 (日)  『一生懸命』幻の議員日記 第75弾! 2008.3.16   たかやん

『一生懸命』幻の議員日記 第75弾! 2008.3.16   たかやん

三人
今朝はお袋と空と三人で黒目川に散歩に行った。勿論、トングを持ってゴミを拾いながらの散歩である。祖母ちゃんと孫という関係は、本当にいい関係らしく・・・僕がゴミを拾っている間は、二人の世界に入っている訳で・・・「おばあちゃん、この花きれいだね」「ほら、あそこに鳥さんがいる」と、なかなか前に進まないのだった。

休日
今日は塾もなく、久しぶりに本当の休日。午前中は来客があったが、午後からは大泉のお祖父ちゃん、お祖母ちゃんの家に遊びに行ったりと、ゆっくりとした時を過ごしたのだった。

91歳
空の曾おじいちゃんは91歳。今日も本当に喜んでくれた。空のことを本当に可愛がってくれているのだ。群馬の館林の出身で、勿論あの戦争も経験している。ちょっと前まで自転車に乗っていたというのだから凄い。

キックボード
空が余りにも「買って!」というので、キックボードなるものを買った。家の前の駐車場でやってみると、なるほど面白い。空も練習しているうちに、少しコツを掴んだらしく・・・・「パパ、たのしい・・・」を連発していた。

親友
夕方からは久しぶりに親友の家で飲んだ。我が家から歩いて5分のところにあるので、本当に気楽に行ける・・・親友というと、学校時代の友達を連想するが、この親友は大人になってからの親友である。そういう友達がいるということに、幸せを感じる今日この頃である。

幸弘日記から
教育の生き残りは複線化しかない
 学力低下にはじまり、学級崩壊、不登校など、今の学校は相当の限界点まで来ている。一教師の裁量でできる部分は、言ってみれば先生方の意識改革が必要となる。一教師の裁量では手に負えない部分は、教育制度や教育体制の問題になる。

 ある調査によると、授業がまともに成り立っているかどうか、ということと学力は相関関係にあることが明確になっている。

 また、総合学習の時間になにをしていたか、というアンケートでは生徒の25%がほとんど遊んでいた、と答えている。
 それ以外でも、技術・家庭の時間では大分パソコンいじりで終わってしまっているという地元の生徒の声もある。
 
 堺屋太一さんが経済企画庁長官のときに「規格大量生産の時代はもう終わった」と力説されていた。これは、そのまま学校教育にもあてはまる。残念ながら、戦後教育はながらく規格大量生産感覚で学校運営がなされてきた。
 言い換えれば今の学校は、ある範囲の状態にある子供たち、のみ対象としてきた、ということになる。だから、理解できすぎる子や理解できない子にとっては、不満も不満、やりきれない学校生活を9年も強要されることになるのだ。

 こんな逆差別がいつまでも許されていい訳がない。まして、学力の二極分化が明白になってきた現在、やや大げさな言い方をすれば、今まで学校が想定してきた「ある範囲」の中に納まる子供たちが、もうほとんどいないのだ。
 ここまでくると、今の文科省教育は、ただただ的外れ、ということになる。その的外れ事業に税金予算をつぎ込んでいる、ということになるし、そんな状況で教鞭をとる先生方も、大変かわいそうだ。

 欧州では、フリースクールやホームスクールが、公認されている。個を注視した数多くの取り組みがあり、フリースクールなど様々なプライベートスクールつまり私塾でも、卒業資格が制度的に保障されている。
 様々な教育の場、があり選択の自由が保障されている。いわば、教育の複線化だ。このことによってのみ、不満な生徒も、公教育にあえぐ現場教師も、皆解放される。

* なかなか面白い発想だと思う。教育そのものが発想だと僕は思っている。古き良きものを伝えていくというのも発想だが、今までにないものを新しく作っていくというのも発想である。何かに行き詰った時には、新しいものを創っていくしかない。古いものにしがみついては未来は見えてこない。古い思想はなかなか捨てられないが、新しいものはどんどん変えていけるのも強みだ。僕は新座の教育が行き詰っていると感じている。昔のやり方がもう通用しなくなっているのだと思う。そう考えると進む道も見えてくるというものだ。
http://www.takayan-world.com/cheeringparty/       たかやん