3月30日 (日)  『一生懸命』幻の議員日記 第89弾! 2008.3.30   たかやん

『一生懸命』幻の議員日記 第89弾! 2008.3.30   たかやん

黒目川
三脚にカメラが数台、黒目川の土手に置いてあった。桜を撮っているのか、黒目川を撮っているのかは分からなかったが、兎に角人がたくさんいた。僕は相変わらずトングを持ってゴミ拾い。トングを持っていると、カメラを持つ気分にはなれず、カメラを持っていると、トングを持つ気分にはなれないので、しょうがない訳で・・・母さんと散歩ができるのもあと二週間。毎日一緒に歩けたらいいなあ・・・。

季節
「パパ!お庭にタンポポが咲いているよ!」と嬉しそうな空。「本当だ。可愛いね」と僕。すると「パパ、もうタンポポが咲く季節になったんだねえ」と空。「お前、いつの間にか難しいことを言うようになったね。流石、もう直ぐ五歳だね。」と感心したのだった。

大泉
今年91歳になったママのおじいちゃんのところに遊びに行った。空はママのお祖母ちゃんやママの従兄妹の子どもと仲良く遊び、本当に楽しそう・・・ママは叔母さんと話しこみ、僕はおじいちゃんとお話をした。話はやはり4月1日から始まる「後期高齢者医療保険」の話に・・・・「まったく年寄りを馬鹿にしおって・・・」今の平和な日本を築いてきた人たちに全く敬意を払っていないことに、僕らは一緒に腹を立てたのだった。

4月号
議会報告の作成に取り掛かった。3月議会は色々ありすぎて、何を書こうか迷ってしまう。なるべく早く完成させて、駅に立ちたいと思う。

沖縄ノート
その時、沖縄で何があったのか・・・真実を知っている人達がいるだろう。まだ生きているのだから・・・。旧帝国陸軍が沖縄の人たちに何をしたのか、たくさんの証言が残っている。そもそも軍隊という集団が異常なものなのだ。国のために「人を殺す集団」なのだから・・・・。
国の為にアメリカ兵を殺し、国の為にイギリス兵を殺し、国の為にアジアの国々に侵略し、国の為に沖縄の人達も殺す・・・「お国の為に」で全てが許されるのだ。軍隊とはそもそもそういうものなのだ。平和な社会とは正反対の価値観で生きなくては、自分が殺されてしまう・・・そういう世界なのだと思う。
当時の沖縄で、そういうこともあっただろう。でも、そういう軍人ばかりではなかっただろう。お国の為にではなく、「お袋の為に」「弟や妹の為に」戦争へ行った若者達もたくさんいたのだから・・・・
「朋矢、いいか、兵隊さん達はなあ・・みんな「お母さん!」て叫んで死んでいったんだ!天皇陛下万歳じゃあない。それだけは覚えておけ・・・・」そう言った父さんの目には涙があった。ルソン島で戦死した登おじさんのことを思って泣いたのだと思う。ルソン島では偉い軍人は飛行機で逃げたらしい。そして残されたおじさん達はみんな殺されたのだ。登おじさんはまだ18歳だった。
当時の沖縄で、そういう軍人もいたし、そうじゃない人もいただろう。「死ね」と命令した軍人もいたし、「生きろ」と言った軍人もいた。きっと、そうに違いない。
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