6月17日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第168弾! 2008.6.17  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第168弾! 2008.6.17  たかやん

奇跡
今日は久しぶりの舞ちゃんの日。いつも運転しながらお話をしていくのだが、今朝はいつもとちょっと違った。音楽を聴きながら石神小へ行ったのだ。局は「奇跡」。舞ちゃんと僕は二人でずっと歌いながら走った。ママのCDの音楽が僕らを一つにしてくれた。そう思った。

42分
家に帰ってからは時間との戦い。「奇跡」を僕のウォークマンスティックに取り込み、「英語」ではなくて、「奇跡」を暗誦しながら市役所に向かったのだ。それは英語を聴きながら行くのとは違った感覚で・・・市役所がもの凄く近く感じたのだった。

陽子
今日は陽子の一般質問があった。15歳の頃の陽子はおとなしくて、そして賢い女の子だった。まさか、あのおとなしい女の子がこうしてみんなの前で堂々と話をするようになるとは・・・担任としては誇らしい気持ちで一杯である。あの頃、僕らが「同僚」になるなんて、想像することもできなかった。彼女が議員になることを想像した人間はいなかっただろうし、僕が教師を辞めると思った人間は神様を含めても誰もいなかっただろう。人生というのは分からないものだ。誰も想像しないことが起きる。だからワクワクするのだ。
「因果応報」それが人生ってやつだ。

10人
今日の最大瞬間睡眠議員数は10。そう言えば、執行部側も安心してお休みになっていた「偉い人」もいたなあ・・・。国会中継でも寝ている議員がいると頭にくるが、市議会はテレビ中継がないから、頭にくるとしたら傍聴に来た人だけになる。眠くなるのは「やること」がないからで、自分でやることを考えたり、人の話を聞いたり、何かを工夫すれば傍聴人をガッカリさせないで済むと思う。それは執行部も同じだろう。工夫できない、頭の固い人にならないように毎日頭と心を鍛えよう!

体操着
「修学旅行で体操着を2着送らなくちゃいけないんだ。」「ふーん」「もともと2着しかないから買わないといけないんだ。」「何で?」「だって、送る日当日まで体育の授業があるんだもん。」お金で苦労したことのない先生達には、体操服を買わせられる庶民の気持ちは分からないかも知れない。修学旅行で6万近くも払わされ、5000円のお小遣いの中から拝観料や入場料を払わされる・・・そんなことは気にもならないかも知れない。でも、庶民の暮らしは苦しい。親は一生に一度のことだから・・・と、無理をする。それを当たり前と思ってはいけない。それ程、格差社会は進行しているのだ。自分の生活を基準にしたらとんでもないということに気づかないようでは、教師失格である。

朝日新聞6月16日(月)朝刊「声」から
「戦争特集」   無職 高邑ひさ子 83(旧姓森川) 富山県下新川郡入善町舟見 
1944年(昭和19年)当時、日本海軍艦政本部に勤めていました。緊急戦備用と朱印を押された書類が机の上に重ねられ、上司からは仕事をしている振りをするように指示されていました。その頃、集団疎開の寮母として赴任していた友人から、子ども達が虱だらけという話を聞き、居ても立ってもいられなくなりました。無理やり退職して、12月の末福島県相馬中村に寮母として赴任しました。豊島区立長崎第五小学校の子ども達でした。その歓迎会で総勢百名近い子ども達に一つずつ蜜柑が配られました。気がつくと蜜柑は勿論、蜜柑の皮一つ残りませんでした。その夜、寮母室の障子に穴があきました。寮母さん達だけ、何か食べていないか覗いていたのです。その心が哀しくて、子ども達と一緒のもの以外、一切口にしないことを心に誓いました。その後、飛行場のある相馬中村から空襲を逃れて、会津へ再疎開しました。食糧事情はますます悪くなりました。渋柿を薄く切って干しておくと甘くならないうちに無くなり、宿のお仏壇のお供え物が無くなりました。私たち寮母も子供たちも体重はどんどん減っていきました。小学生の子供たちが寂しさに加え飢えとも戦っていた暗い時代でした。
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