9月30日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第273弾! 2008.9.30(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第273弾! 2008.9.30(火)   たかやん

命日
明日は陵平の命日である。ハイチューを食べたことで死ななければならなかった13歳の中学生のことを、みんなが思い出さなくてはいけない日である。

いつまで・・
昔のことにいつまで拘るの?議会でよく言われる言葉である。だけど、それはまるで原爆を落とした側が落とされた側に言う台詞に聞こえてしまうのだ。僕の感性は、落とす側にはいたくない。落とされた側でいたい。ずっとそう言い続けている。

13歳
空は今5歳。あと8年で13歳になる。空の命があと8年しかなかったら・・・・そう考えるだけで胸が苦しくなってくる。自分の命を差し出して、何とか生き延びて欲しい。親ならそう思うだろう。子どもの命というのは、自分の命よりも尊いものなのだ。

共通理解・共通行動の罠
新座市の中学校にはある時から「共通理解・共通行動」という言葉が聞こえるようになった。まるで北朝鮮のようだな・・・と、当時の僕は感じていたが、市民のみなさんはどう感じるだろう。「名札を付けていない中学生がいたら、みんなで同じように注意しましょう。名札がついていない・・・そういう小さなことが、どんどん取り返しのつかない大きなことになっていくのだから・・・」そういう発想である。「スカートの短い(長い)女の子がいたら、みんなで同じように注意しましょう。場合によっては家に帰しましょう。決して見逃してはいけません。服装の乱れはこころの乱れなんです。」「ワンポイントの靴下を見逃したら、どんどんどんどんエスカレートしていくんです!」という考え方である。そしてその考え方は今の新座の中学校にいまだに存在している。

僕の考え方は違う。名札が付いてなかったら・・・名前を覚えればいい。そもそも名札がないと子どもの名前を呼べないようじゃあプロじゃない。最初の1週間だけ名札を付けてもらえませんか?とお願いするのなら分かるが・・・・。スカートの丈に集中する暇があったら、どうやったら子ども達が自分の授業に集中できるかを考えた方がいい。スカートの丈を見る暇があったら、子ども達の目が輝いているかどうかを見たほうがいい。第一、女の子のスカートの丈が長いか、短いかなんて、本当にどうでもいいことだと思う。どうしても何かいいたいのなら、「うーん、長いスカートは好きじゃないな」「おう、随分短いねえ・・・」と、自分の好き嫌いを言うことくらいか。子ども達の家庭環境が悪くなってきていると言う先生が多いが、本気でそう思うのなら、せめて先生達は子ども達に暖かい眼差しを向けてあげないと・・・・違いますか?

本気で
嘗ての五中にも「神さん」というガチガチのおばちゃんがいた。「靴下は三つ折りにしなさい!」と吠える先生だった。子ども達は三つ折りにしてないソックスを見つかっては、職員室に正座させられていた。僕は「そんなことどうでもいいよ」と言っていたから、子ども達は僕のクラスでは堂々とソックスを伸ばして履いていたのだ。だけど僕は「神さんに見つかったら謝っておけよ」と言っていた。「なんでよ?」と子ども達。「だって、神さんはお前達のこと本気で思っているから・・・」僕の答えはいつもそうだった。そう僕は神さんをお袋のように慕っていたのだ。神さんは子ども達のことを本気で愛する先生だった。

大事なこと
そう、僕にとって大事なことは「共通理解」でも「共通行動」でもなかったのだ。「本気で子ども達のことを思うこと」それが大事だったのだ。世の中に子どもを思っても、家庭によって色々な育て方があるように、学校の先生にも色々な接し方があっていい。いや、そうでなくてはいけない。それが僕の考え方である。

休み時間にベランダでハイチュー
陵平は休み時間にベランダでハイチュウーを友達から貰って食べた。そのことで学年全員の先生達に注意を受ける。この全員というところが重要なのだ。もし、僕がその場に遭遇したとしたら・・・1.「俺にもくれ」と一緒に食べる。2.「授業中は駄目だぞ。ゴミだけはちゃんと捨てておけよ。」3.「馬鹿たれ!」とゲンコツ。のどれかだったと思う。そして仮にその学年に所属していたとしたら・・・(その可能性は実際にあった)
影で「適当に謝っておけ」「気にするな」と言っていたか、みんなの見ている前で「ふざけるな!」とゲンコツを食らわして怒った振りして、お仕舞いにしただろうと思う。子ども達にとって「違う価値観」」があるということを知ることは大事なこと。それさえ知っていれば、陵平は死なずにすんだと思うのだ。

そもそも、休み時間に食べたことがそれほど問題だったら、授業中に食べたらどれだけ問題になるのだ。ベランダには出てはいけないことになっているが、本当にそんなにいけないことなのか。
ハイチューで学年集会で謝罪(学校側は決意表明といっているが・・・)させられるのだったら、喫煙をしている子達や万引きした子ども達には、いったい何が待っているのだ。
ハイチューで本気で「説教」して「反省文」を書かせて「決意表明」をさせられる子ども達はたまったものではない。特に最後の決意表明は陵平の胸には重くのしかかったはずだ。それが理解できなかったところに、悲劇がある。みんな同じ接し方をしているという安心感が、教師の感性を駄目にし、そして理解する能力を奪っていったのだ。一人、一人が本来もっている力を子ども達に向けてくれていたら・・・これから、そういう生徒指導にしていったら・・・陵平の悲劇は繰り返さないですむだろう。

子ども達は勿論、先生達も心に傷を負ったこの事件。忘れてはいけないのは陵平の命の重さと両親の心の痛みの深さである。議会では今生きている子ども達、先生達の心の傷ばかりを気遣った発言が目立った。自分の子供を失った親の気持ちは、想像することができないくらいの悲しみだろう。その悲しみを共有できなかったところに問題があるのだ。そして未だに解決していないのである。当時の学校と市教委は人の心をもった対応をしていなかった。もし、人の心があったなら、可愛い教え子の命日を覚えているはずだ。そして、どこかで陵平の墓参りにいっているはずだ。人としての心を取り戻すのに、遅いということはない。今年でも来年でもいい。人の心を取り戻したなら、是非命日に、そしてお墓に訪ねていって欲しい。そして陵平に「ごめんね」と謝って欲しい。
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