1月17日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第17弾! 2009.1.17(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第17弾! 2009.1.17(土)   たかやん

黒目川
久しぶりに母さんと黒目川を散歩した。勿論、トングとビニール袋を持って・・・・
黒目川には小学生の女の子が二人、犬と一緒に座って鳥の群れを見ていた。その姿が余りにも可愛いので、僕が向こう岸から「おはよう!」と手を振ると、「おはようございまーす!」と笑顔を返してくれた。

笑顔
そして土手のゴミを拾っていると、「たかやん!」と土手の上から声がかかった。五中の卒業生のお兄ちゃんのM君だった。そこに六中の卒業生のお父さんのSさんが通りかかり・・・僕らは笑顔で朝の挨拶をしたのだった。いやあ、黒目川は本当にいい川なのだ。

石神3丁目
朝ご飯前にやるはずのポスティングが朝ご飯の後になった。配っているうちに友達の家に上がりこみ、話に夢中になる。お茶をご馳走になってから続きを配る。途中のスーパーではいきなり「焼き芋」をご馳走になった。なんだか申し訳ない気持ちで一杯になる。

焼き芋
母さんが「美味しい」「美味しい」と喜んで食べた。空も「美味しい」を連発。温かくて美味しい焼き芋は我が家の昼ごはんになったのだった。

お手伝い
「空も行く!」と、ポスティングのお手伝いを申し出る空。空は自転車に乗り、僕はそのよこを歩く・・・というポスティングが始まった。暫くは大丈夫だったのだが、「パパ、おしっこ」と空。20分ほどで家に引き返したのだった。

お手伝い2
「おしっこしたらまた行こうね!」と空。今度は二人で歩いて行った。黒目川の土手で六中テニス部の教え子K君のお母さんにバッタリ。「あらまあ・・」「あれまあ・・」と立ち話。その後もはやり別の六中テニス部の教え子のF君のお母さんと立ち話・・・なかなか楽しいポスティングになったのだった。

おじいちゃんの席
午後は大泉のお祖母ちゃんの家に遊びに行った。僕はおじいちゃんが座っていた場所に座った。その場所はぽかぽかしていて気持ちのいい席で・・・僕はいつの間にか眠ってしまった。おばあちゃんに温かいものを・・・と思って買い物をしていったのだが、結局おばあちゃんにご馳走になって、お土産を一杯もらって帰ってきたのだった。

14年前
多分、毎年書いていると思うが「今日は神戸の大震災」の日だ。そして14年前の僕は「六中の教師でありながらホームレス」という滅茶苦茶な奴だった。小学校6年の亮の安全を考えて、僕達は六中の噴水の前にパジェロを停めて寝ていた。今なら「教育委員会」からふざけるな!学校を私物化するな!と怒られただろう。でも当時は「生きた警備保障」とも言われていたのだ。用務員さんよりも早く来て(当たり前か)学校の鍵を開けるのも僕の仕事だった。そう僕らの世代はよく学校に泊まったものだ。体育祭、卒業式、文化祭・・・。子供たちだって学校に泊まった。多分、みんな学校が好きで、好きでたまらなかったのだろう。「俺の学校だ!」という意識が強かったのだろう。だから、学校に泊まることにそれほどの違和感はなかったのだと思う。

あの日の朝
マイナス5度というとんでもない寒さだった。パジェロの窓は真っ白に凍っていた。僕は余りの寒さに夜中に目が覚め、朝まで亮にひっついて寝ていたくらいだ。

幸せ1
神戸の人たちはあの日から「トイレ無し」「水無し」「風呂無し」「布団なし」「家無し」「食べ物無し」という生活が何日か続いた。僕らには六中の外トイレがあったし、水もあった。風呂は入れてもらえたし、食べ物も大丈夫だった。家と布団はなかったけれど、パジェロと寝袋があった。そして何より父子の絆があったから幸せだった。14年前、僕の家族はたった一人、亮だけだった。だけど僕には沢山の仲間と教え子達がいた。それもまた暖かい家族のような存在だったのだ。

幸せ2
14年前は外で寝ていたが、今は暖かい布団の上で眠れる。14年前は六中の外トイレが僕らのトイレだったが、今はウォッシュレット付の暖かい便座に座れる。14年前は親友の家のお風呂に二人で入れてもらっていたが、今は我が家にお風呂がある。あの14年前だって幸せだったのだから、今は何にもいらないくらい幸せなのかも知れない。阪神大震災の日は「昔の幸せ」と「今の幸せ」をかみ締めさせてくれる日でもあるのだ。

オバマ
イスラエルとパレスチナの戦闘(かなり一方的だが)が止まらない。イラクからは撤退するといったオバマがこの問題にはコメントがない。多分、ガザやアフガニスタンから撤退することはNo, we can’t. なのだろう。ブッシュがオバマに代わったとしても、アメリカの論理が変わるわけではない。アメリカの軍需産業や石油産業の都合は大統領が変わっても、急には変わらない。都合に合わない大統領は消されてきた歴史があるのだ。日本を利用するだけして、消すことくらい朝飯前だと思っていないと馬鹿をみる。今こそRemember Hirosima. Remember Nagasaki.である。報復しろというのではない。アメリカはそういう国だということを何十年経っても忘れるなということだ。

栗原
明日の朝こそ栗原へポスティングへ行こう!懐かしい子供たちのところへ行こう。