1月2日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第2弾! 2009.1.2(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第2弾! 2009.1.2(金)   たかやん

家事
ママがダウンしているので今日も朝から家事に大忙しだった。朝ご飯を作って、洗濯物を干して、掃除をして、買い物をして・・・昼ごはんを食べさせて・・・

箱根駅伝
それでも箱根を見ながら、地図落としなどをしていた。「一生懸命」を配る家がこんなにあったのか・・と、反省。ママが元気になったらフル回転で配りに行くつもりだ。


長女の雪が家族を連れてやってきた。空は大喜び。同じ歳のあっくんと外で遊んだり、中で遊んだり・・・ずっと大騒ぎ。楽しいひと時だった。

通知表
中一の孫の通知表を見てビックリした。「2」があるのだ。「あれ?中間は学年で十何番じゃなかったの?期末は悪かったのか・・」「期末は悪かったけど、その教科は中間だけ・・・」「テストが悪かったの?」「テストは70点」「平均点は?」「40点、最高点は80点くらいかな・・」「それで2か!」「そう・・・」「授業中に本でも読んでたか?」「いや」「騒いだとか」「いや」「そりゃあおかしいだろう」「提出物も出した」「先生に逆らったのか?」「いや・・」「じゃあなんなんだ!」とエキサイトする元中学教師。正月からムカツクことばかりだ。(いかん、いかん。笑顔、笑顔・・・。)

後輩達へ
何十年も前、相対評価が当たり前の時代から僕は「絶対評価」をしていた。僕は授業の最初にこう宣言した。「テストで90点平均取ったら、誰でも5をあげるよ!」と。「70点平均だったら4ね」「50点平均だったら3ね」「本当ですか?」「ああ、本当だよ。授業中に寝ようが、俺を殴ろうが平均90点以上取ったら絶対に5をやる。」そして、僕はその通りに評価してきた。だから、誰からも文句を言われたことはない。(同僚の教師達からは散々イヤミを言われたが)通知表をもらう前から子ども達は理科の(数学や国語も)評価がわかっていたのだ。それが絶対評価のいいところ。そしてその結果、僕の授業で寝た子はいなかったし、勿論僕を殴った子もいない。タイマンはやったが授業とは全く関係なかったし、(大抵他学年だったり、テニス部だったかな)勿論そのことを評価に入れたことはない。中学生は逆らって当たり前。そんなことを一々評価に入れていたら大変なことになるのだ。子ども達が教師の顔色を見て、萎縮するに決まっている。「内申」ていうのはそれほど怖いものなのだ。教師は「内申」を武器に中学生を脅かしてはいけないのである。それは人として反することなのだ。ああそれなのに、それなのに、「内申」に書くよ!」と脅かす教師の多いこと・・・・。そして、後輩の教師がこれじゃあねえ・・・。「テストだけではなく、総合的に判断して」という答えが見えてくるが、中学生をレポート提出やノート提出、そして授業態度で縛ってはいけない。プロが見れば「テスト」の解答でいろんなことが見えてくるものなのだから。プロならテストだけで判断する。その方がよっぽど好かれるぞ。君たちの「記憶に残る先生」はそうじゃなかったかね。

後輩達へ
あなた方先生達は「1」をもらったことがないかも知れない。大変な倍率の採用試験を通ってくるのだから、「5」と「4」ばかりの通知表だった人が多いだろう。だからこそ、「1」をもらう子ども達の気持ちを考えなくてはいけないのだ。音楽で言う「1」とは「お前は歌うな!」という意味だ。美術でいう「1」とは「お前は絵を描くな!」という意味だ。貰うほうにはそういう意味なのだ。理科でいう「1」とは「お前は哺乳類じゃない!光合成でもしていろ!」という意味をもつ。それくらい子ども達にはショックなのだよ。あなた方にも少しは分かるだろう。小中学校では勉強が出来ても、高校大学ではそうでもなかった人も多いだろうから・・・僕だって、中学時代の偏差値は75あったけど、高校では学年でペケから6番だった。できたのは中2と中3の時だけで、あとの人生は「お前は馬鹿だ!」と言われ続けてきたんだ。だから「1」を貰う子の気持ちが分かるんだ。折角、絶対評価になったのに、軽々しく「1」を付けるなよ。「2」をつける時だって、慎重になれよ。いい加減に「5」を付けろといっているのではない。君たちが作ったテストで90点以上取ったら全員「5」にしたっていいじゃない、と言っているのだ。みんなが君たちの授業を理解することが大事なのだから・・・「5」は多いほうがいいでしょう。一生懸命授業をして、本気でテストを作って・・・そして「5」が多かったら喜ぶ。そんな先生でいて欲しい。僕はそう思っています。

親展
ここに昭和44年1月23日に新宿区立西戸山中学校長が高邑新太郎宛に出した「高邑朋矢」の学習の記録がある。要するに内申である。「国語5、社会3、数学4、理科3、音楽4、美術4、保健体育5、技術家庭3、外国語4」となっている。そう外部のテストでは偏差値が75取れても、西戸山中学では学年で20番くらいにしかなれなかったのである。因みにその時の2学期の通地表は「国語4・社会4・数学4・理科4・音楽5・美術4・保健体育5・技術家庭4・外国語4」である。2学期の通知表より内申が悪いのには、ちょっとした秘密があるのだが、それは別の機会に・・・。
開成、武蔵、麻布、学芸大附属、教育代附属、双葉、共立、御茶ノ水、戸山、青山、新宿、駒場、早稲田学院、慶応・・・僕の同級生には賢い奴らが多かった。東大生などウジャウジャいるのだから勉強で僕の出番は殆どなかった。だからこの「内申」はこれでも僕の精一杯の証なのだ。頑張ったけど、できなかった記憶でもあるのだ。記録はこうして残される。教師が軽い気持ちでつけた「1」や「2」もこうして何十年も記録として、また記憶として残っていくのである。中学校長 高橋 堅 担当教諭 河合 隆慶。丁度40年前の僕の記録である。