1月28日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第28弾! 2009.1.28(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第28弾! 2009.1.28(水)   たかやん

寝不足
昨夜、寝たのが3時過ぎだったので、ちょっぴり寝不足である。いくらやることがあるといっても、体のことを考えられないようじゃあ・・・まだまだ子どもか・・・

ダウン
午前中は元気だったのだが、午後はダウン。症状が怪しいので、研修会はお休みした。頭が痛くて、熱が出て・・・でも寝たら、少しよくなったかも・・・

6年前の塾日記

五中
明日久しぶりに五中時代の仲間に会う。その時校長だった、中村敞一郎先生の叙勲のお祝いがあるのだ。敞一郎さんはなかなか凄い校長だった。大学を出たばかりの僕を3年の担任にしてしまったのも凄かったが、それより何より凄かったのは「家庭訪問」だ。普通家庭訪問というのは、教師が生徒の家を回るものだ。しかし敞一郎さんは新任の教師達の家庭を訪問したのだ。僕の家にも勿論来た。それも麻雀をしに…・・。その頃僕は長髪だったのだが、(他の新任達はみんなリクルートカットだった。)一度も校長に注意をされたことが無かった。まあ注意されても切る気は無かったのだが…・。ある日学校で飲んでいると(そうなのよ、その頃は学校でよく飲んでいたんだ。)敞一郎さんが「高邑はその髪の毛を切ればいい男なんだがなあ・・」とボソッと言った。要するに髪の毛を切れよ、と遠回しに言った訳だ。そこで僕はこう言い返したんだ。『校長、僕に麻雀で勝ったら切りますよ!』何とまあ生意気な新任なんだろうねえ。そしてその晩校長は僕の家に来てくれたんだ。勿論麻雀は僕が勝ったんだけど…・・僕は校長が我が家に来てくれたことに感激して、髪を切ったという訳さ。今の僕の頭からは想像できないことだろうけど、本当のお話なんだ。そうそう僕は校長のことをいつも「校長!」って呼んでいたんだ。だって長に先生をつけたりするの変じゃない。だけど学校というところはおかしなところで、校長自らが生徒に向って「校長先生は…・」とか朝礼で言ったりするんだ。僕はそれが嫌いだったから、断固「校長!」と呼んでいたという訳。まあ敞一郎さんにとっては生意気な奴だったのだろうが、僕は敞一郎さんにえらく可愛がられたんだ。五中のテニスコートが増えたのも、敞一郎さんのお陰だし、色んな意味で六中のテニス部を応援してくれていたんだ。そう僕が教員をやっていた時代の大半は敞一郎さんが新座の教育長だったんだよ。僕がかなり無理な練習とかをしたりしても、きっと敞一郎さんが陰でサポートしていてくれたんじゃないかなあ…・・そういう訳で明日の塾は「自習」になります。1時前から塾は開いていますから、みんな2週間後の期末テストに備えてください。僕は2時頃帰って来ますが、多分酔っ払って帰ってくるので……そうそう、テニスもサッカーも明日はありません。その代わり日曜日にテニスもサッカーもあります。勿論塾もね。土曜の振り替えということです。
連絡終了! Good luck! Takayan.

懐かしい塾日記が出てきた。この頃はまだ空がいなかったので、僕は子ども達とテニスをやったり、サッカーをやったり、勉強したりしていたのだ。僕の人生に空がいないなんて今じゃあ想像できないけれど、確かにそういう時代はあった訳で・・・・まだ僕が議員になる前の日記は面白い。それにしても、酔っ払って帰ってくるから、それまで自習してろとは・・・ふざけた塾だなあ。休みに塾を開放するよといっているだけか・・・うーん。まいっか。

Always 三丁目の夕日
僕が生まれて育った頃のことを思い出した。頑固親父が日本中にいたんだなあ・・・。そしておせっかいおばさんも・・。「お母さん」はいつでも温かくて・・・近所はみんな親戚のようで・・・「夢のような東京タワー」の建設があって、冷蔵庫が我が家に来て、洗濯機が来て、そしてテレビが来て・・・・本当に幸せな毎日だったあの頃・・。今と比べると、物ははるかに少なかったけど、心は満足していたあの頃を思い出して、そしてまた泣いたのだった。

BBC
英語の勉強も兼ねて、「ロビンフッド」を見ている。米語ではなくて英語というところが面白いし、投じのイギリス人の生活ぶりが見えてきて勉強になる。たまに寝込むのも悪くはないなあ・・・。映画を見ていたら、熱も下がってきたみたいだ。
takayanchan@jcom.home.ne.jp       たかやん