10月17日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第289弾! 2009.10.17(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第289弾! 2009.10.17(土)   たかやん

激痛
右足に激痛が走る。椅子に座ろうとすると痛いのだから、どうしようもない。やはり肉離れをやってしまったのか・・・試合から1週間以上経っているのに・・・まずいなあ・・。

素振り
それでも素振りは続けている。今日で54日。自分の中で確かに何かが変わりつつある・・・。これは凄いことだと思うのだ。ただ、ちょっぴり肉体がついていかないだけだ。

君が代
最近読んだ、「よしのり通信」を見ていたら卒業式の「君が代」のことが掲載されていた。僕は21年間の教員生活で「君が代」を歌ったことはない。国旗に頭を下げたこともない。人には頭を下げるが、日の丸に下げる気はない。大体、卒業式でどの教員が起立したか、歌っていないか・・・それをチェックしている人間は歌うどころではないだろう。彼らの理屈でいけば、その人間にも愛国心はないのだ。オリンピックやワールドカップでは日の丸に涙し、君が代を大声で歌うことがあるかも知れない。しかし、だ。国旗に敬礼し、君が代を大声で歌う人間は「愛国心」があるなどいう決め付けはよくない。そんな形で「愛国心」など測れるものか・・・・
愛国心とはゴミを捨てない心であり、歌を歌おうが歌うまいが、同じ日本人を愛する心ではないのか。君が代を歌えないと愛国心がないのなら、聾唖者に愛国心はないのか。日の丸に敬礼し、君が代を大声で歌い「天皇陛下万歳」と叫んで、罪もない人間を殺した軍人はいなかったのか・・・学校の先生たち全員が日の丸に敬礼し、君が代を大声で歌うようになったら・・・その方が恐ろしい。そういうことを言う人間だって、家で毎朝日の丸を掲揚している訳ではないだろう。
それほどいい歌なのなら、本物ならば、その歌詞の意味も含めて、自信を持って歌えばいい。いい歌であれば必ずその歌は人々に歌われるようになる。学校で「強制される歌」などあってはならないのだ。それは偽物である。僕は大声で君が代を歌う人を尊敬もしなければ、軽蔑もしない。ただ、そんなもので人の何かを測ろうとする人たちは、可哀そうだと思うのだ。ビルマ戦線で機関銃部隊の小隊長として戦った父さんは、俺たちの前で山ほど軍歌は歌ったが、君が代は歌ったことがなかった。それが僕の物差しになっている。いい歌であれば人は歌うようになる。音楽の先生に僕らはそう習った。その言葉も正しいと思うのだ。

今日の写真
親友の至と至の奥さんのヒロミさん。親友と言っても、兄ちゃん、姉ちゃんのような存在かな。二人ともいい人相してるでしょ?僕の周りにはこういう「いい人相」の人が多いんですよ。こころが12歳の時からの付き合いだから、もう20年近い付き合いになります。至も僕の「一生懸命」のファンでしたねえ・・・。そして僕も至の書いた本の大ファンです。僕はいつも至とヒロミさんからいい気を貰っているんです。

20091017-1.jpg