2月24日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第54弾! 2009.2.24(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第54弾! 2009.2.24(火)   たかやん

舞ちゃん
今度舞ちゃんを石神小へ送るのは4月。そう舞ちゃんが6年生になってからだ。1年生が入ってきて、舞ちゃんが最上級生になって・・・桜が散った頃、また舞ちゃんと馬鹿話ができる。今日も車の中でゲラゲラ笑いながら話をしたのだった。

パソコンが立ち上がるまで
待っている時間がもったいないので、本を読むことにしていたが・・・ピアノの練習をするのも悪くない。ギターだと練習無しでも歌える歌が、ピアノになると弾くだけで難しい。14日間でできるようにするという目標があるので、あと13日。忙しい3月議会の合間の練習になるから、パソコンが立ち上がるまでの時間はいい隙間時間である。俺のキーボード・・・・どこへ行っちゃったかなあ・・・誰かに貸したような気が・・・

2月号
「一生懸命」の2月号があと少しで完成する。今回もテーマと写真で苦労した。政治用語と数字が並ぶような硬い話じゃ読んでもらえないだろうし・・・かといって、余り柔らかくてもいかんだろうし。市民のみなさんの「声」が聞こえてくるような、そんな「一生懸命」にしたいものだ。

学級通信
今は1000単位で発行している議会報告だが、『一生懸命』が学級通信だった時代は、発行部数は僅かに45から50。読者はクラスの子供たちとその親、そして同僚の数名だけだった。「読ませてくれ」とか「面白いなあ」と言ってくれた校長には持っていったが、「学校で発行するものは必ず校長がチェックするから出せ」と言った馬鹿な校長には見せることはなかった。学級通信は学校であったことをそのまま載せていた。子供たちの作文や写真も実名入り。子供たちが「名前は載せないで!」とお願いしたときはイニシャルで載せることはあったが・・・基本は事実をそのまま。僕は勿論、子供たちも自分の言葉で書いた文章が毎日掲載された。今ではその「一生懸命」が僕の財産になっている。年間244から265くらいは書いた学級通信。一番楽しみにしていたのは子供たちだった。僕が大事にしていたのは自然だということ。みんなの名前を同じ頻度で掲載するなどという“不自然”なことはしなかった。ありのままの僕のクラスを見せることを大切にしたのだ。

3月議会開会
いよいよ明日から3月議会が始まる。もう5年も経っているのに、議場に入るときは緊張するような気がする。自分が議場で話したことは全て記録されるのだ。自分の子供たちに、そして教え子達に恥ずかしくない発言をしなくてはいけない。一番いけないのが黙っているということ。議員としてそれが一番恥ずかしいことだと思う。発言回数よりも発言内容が大事なのは勿論のことだが、発言をしなければ内容もゼロ。それじゃあ選んでくれた応援団に申し訳ない。気合を入れていこう!
takayanchan@jcom.home.ne.jp                    たかやん