3月22日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第80弾! 2009.3.22(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第80弾! 2009.3.22(月)   たかやん

春分の日
思い出した。小学校1年生の担任だった、向後美佐子先生の誕生日は確か3月20日だったと思う。あの頃の先生はまだ独身で、松本美佐子だった。先生は御茶ノ水を卒業して4年目だったはずだから・・・25歳ということになる。その時の僕は6歳。僕より19歳年上だから、今の先生は74歳。本当に綺麗で素敵な先生だった・・・。
先生、誕生日おめでとうございます!お元気ですか!僕は大学を卒業して、中学校の教師になりました。あの当時は1%の可能性もないような生徒でしたけど、先生に憧れていたことは確かです。そう考えると、教師になったのは先生の影響が一番大きいかも知れません。今からもう49年も前のことなのに、僕は先生の誕生日を覚えています。本当に不思議なことです。きっと大好きだったんでしょうね。最初に会った先生が向後先生で、それから僕はずっといい先生に巡り合ってきましたが、誕生日を覚えているのは先生だけです。僕は先生のような立派な教師にはなれませんでした。それでも、僕のどこかに先生の生き方や考え方が生きている。今でも生きている、そう思うことがあります。僕は毎日学校へ行くのが楽しくてしょうがありませんでした。毎日、先生に会えるからです。先生に会いたくて、子供たちが学校へ行く。そんな先生になりたい。僕はずっとそう思ってきました。僕は先生のようにはなれなかったけれど、そういう先生になりたいと思って生きてきたことには自信があります。先生に愛されて育ったから、僕はクラスの子供たちを愛することができたんだと思います。親の愛も受け継がれていくけれど、先生の愛も受け継がれていくのですね。先生、僕の教え子にも先生になった子たちが沢山います。先生の知らない子達ですが、確実に先生のDNAを持っています。先生・・・もう一度会いたいです。

黒部の太陽
一度だけ黒四へ行ったことがある。それは鳥肌が立つくらいのスケールだった。人間がこんなものを造れるんだ・・・そう思った。黒部川の水は緑色をしている。父さんが、そして僕も泳いだ黒部の水も緑色だった。テレビドラマなのに、あの水の色を見ていたら・・・本物の黒部だ!そう思った。そして父さんのことを思い出した。父さんの故郷、入善町舟見でも何人かの人が黒四建設で亡くなったそうだ。命懸けでトンネルを掘った男達のドラマにまた泣いてしまった。

意地
ママに叱られて、外に出された空。「中に入ろうよ」と言っても、「嫌だ!」と意地を張る。「風邪ひくぞ」「ひかない」風が強いのに意地を張る空。その内、庭で遊び始めた。お風呂に入る前にも叱られて泣いた空。涙が出ているのに、「水で顔を洗ったんだ」と涙を隠そうとする。寝る前は暫く僕の膝の上にいたが、布団にはいるとママにへばりついていた。どんなに意地を張っていても、最後はママに降参してしまう空であった。

あと三日
長かった3月議会もあと3日。明日は委員長報告があって、討論、採決。どんな報告があり、どんな討論があるのだろう。それを聞いて、僕はどんな討論をするのだろう・・・。
takayanchan@jcom.home.ne.jp                 たかやん