3月25日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第83弾! 2009.3.25(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第83弾! 2009.3.25(水)   たかやん

最終日
今日は議会の最終日。丸々一ヶ月の議会は3月議会だけ。頑張ったなという思いと、もう少し頑張っていればという思いと、両方の思いを感じながら自転車をこいだ。

北口
新座駅北口の区画整理事業。事業費は128億と言われている。その内、66億が市の負担になる。しかも、この区画整理事業は14年かかる予定なのだ。地権者もたまったものではない。今日は反対討論を語る会の僕が行った後に、賛成討論を刷新の会の平松代表が行った。今、やらなくてはいけないことは何なのか。市民にとって何が本当に必要なのか・・・僕はそんな思いをこめて、討論をした。どんなことでもそうだが、反対があれば賛成があっていい。どちらかが完全に正しいなどということはないのだと思う。そういう意味でも討論が活発に行われるのは大歓迎である。

パソコン
久しぶりに刷新の会の控え室にお邪魔した。我が「語る会」にはパソコンがないのである。これは本当に不便なことで、調べたいものが調べられない。フラッシュメモリーに保存しておいた自分の文章を取り出せない・・・杜いう訳で、刷新の会のパソコンを使わせてもらったのだった。

意見書
午後からは意見書。語る会が提出した意見書は次の通り。

 小児救急医療の充実を求める意見書

日本の救急医療は危機に瀕していますが、その救急医療の中でも、一番遅れているのは小児の救急医療です。日本の幼児の死亡率は、主要国の平均を超えているのです。これは子どもと大人は体も心も違うのに、子どもの大怪我を診る体制が整ってなく、大人用の施設を流用しているからです。
子どもの救急医療には小児集中治療室(PICU)が必要です。PICUは、命の危機に陥った幼い子を診る専門部門です。現在PICUは全国に18箇所、約120床しかありません。24時間体制で救急患者を受け入れられるPICUは全国で5施設程度しかありません。欧州では子どもの重症患者の発生頻度をもとに、小児人口約40万あたり10床のPICUを置いています。これに照らせば日本は約50箇所500床必要となりますが、まったく届いていない状況です。さらに日本ではPICUと看板を掲げていてもほとんどは小児癌や心臓病などで入院中の子どもの急変や手術後の様態管理にしか対応していないのが現状です。転落や交通事故などで大けがを負った子は「管轄外」と受け入れられないことが多く、一般の救急センターに運ばざるを得ないのです。そしてその救急センターも断ることが多いのです。
PICUの効果は絶大です。01年から06年の間にPICUに転送した子11人のうち、死亡したのは1人だけ。転送しなかった22人では3割にあたる6人が死亡していました。
現在日本には小児救急・集中治療の専門医は20人〜30人程度しかいません。PICUを拡大していくとともに、小児救急・集中治療の専門医も増やしていくことが、これからの日本には必要です。子どもたちは国の宝です。少子高齢化が進んでいる現在、少しでも多くの子供たちの命を救う体制が日本には必要なのです。周産期医療の充実が求められている今日、PICUの拡大と専門医の育成は喫緊の課題であると考えます。
よって、国においては小児救急・集中治療の専門医の育成と小児集中治療室(PICU)の拡大を強く推し進めていくよう強く求めるものです。

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出します。


最後の討論
今日の最後の討論は語る会。「違法献金疑惑の解明と企業・団体献金の全面禁止を求める意見書」に賛成討論をしたのだ。これには刷新の会も賛成してくれて、反対は自民党と公明党。12対13という僅差で意見書は没になったのだった。

握手
最後にこの3月議会で辞められる部長達全員と握手をしてもらった。僕のような若造が随分生意気なことも言ったような気がする。僕は基本的には市長野党なのだから、大変だったかも知れない。嫌な気持ちにさせてしまったかも知れない。でも、お互いに新座市を良くしていこうという気持ちだけは同じだったと思う。お互い精一杯、議場で戦ってきたと思うのだ。僕も部長達も一生懸命だったと思うのだ。そういう意味では同士でもあるのだ。本当にお疲れ様でした。そして、お世話になりました。

議会事務局
僕が愛する議会事務局も人事異動がある。局長を含め、3人の方たちが異動になる。同じ市役所の中にいるのだから、いつでも会えるのだけれど・・・本当にお世話になりました。そして、ありがとうございました。

キャッチゴール
家に帰って、空に飛びついた。(空が飛びついたのではない)そして庭でキャッチボールをした。お風呂に一緒に入って、ご飯を一緒に食べた。何でもないことが、本当に幸せなことなんだと思った。

中野富士見中
アンジェラ・アキと中野富士見中の子達の歌を聴いた。中野富士見中・・中学時代から高校時代まで僕が住んでいたところのすぐ傍だった。子供たちの顔を見ていたら、涙がでてきた。嘗ての五中、そして六中の3年生の子達と同じ顔をしていたのだ。あれが中学3年生の顔だと思った。子供たちはみんな「愛されて育った」顔をしていた。ああいう顔ができない子達は不幸である。愛されないで育った子達は不幸である。僕の仕事は、ああいう顔の子供たちを増やしていくことなのだ。どうしたら、子供たちは愛されて育つことができるのだろう。そんなことを考えながら、僕は何十年か振りでNHKの歌番組を見ていたのだった。
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