4月15日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第104弾! 2009.4.15(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第104弾! 2009.4.15(水)   たかやん

下弦の月
4時47分。外を見ると下弦の月が南の空に輝いていた。そうだ・・朝練に行く時間だ・・・。六中のテニス部時代を思い出した。昨夜は遅かったし、体は疲れていたけれど、当時の子ども達の頑張っていた姿を思い出して、気合を入れた。「継続は力なり」口で言うのは簡単。実行あるのみだ。

5時50分
志木駅に到着。例によって、トングとゴミ袋を持って南口へ・・・。主にタバコの吸殻を拾って、さあ駅立ち開始!志木駅は久しぶりなので、ちょっとした恐怖心があった。それでも最初の30分は順調。前に住んでいたマンションのサッカー少年のI君をはじめとする笑顔にも会えて幸せだった。

ハグ
6時半頃、塾生だったなつみとハイタッチし、そしてハグした。女子高生と朝からハグしている変なおっさん・・・そんなイメージである。7時半頃には二中の3年2組の晶子とも軽くハグ。彼女達も卒業してもう11年になる。志木にきてよかった・・・そう思う瞬間である。

育ち
見知らぬ小中学生に「おはよう!」と声をかける。すると、自然に綺麗な挨拶をする子達がいるのである。本当に育ちがいいのだと思う。感じのいい子どもたちの後ろの、彼らを育てた親を感じる瞬間である。

傑君
「あれ?」「おはようございます!」と、登場したのが並木傑議員。「これ息子」と傑君そっくりの息子さんを紹介しれくれた。それがまた本当に似ているのだ。親子っていいなあ・・そんなことを感じた瞬間だった。

大佑
志木駅というと、平松大佑・・・そういうイメージがある。選挙前に、一緒に駅立ちしたときのダブルスコアーを思い出しながらチラシを配った。大佑は志木駅で900から1000は配るはずだ。僕は彼の半分どころか三分の一・・・。人と比べちゃあいけない。そう思いながら、2時間・・・・時々泣きそうになりながら頑張ったのだった。

教師を目指す人へのメッセージ
第十三歩 「掃除」
トイレ掃除に燃えた時があった。メチャクチャ汚かった外トイレをみんなでぴっかぴかにした。便器の中に手を突っ込んできれいにした。何度も顔に得体の知れないものがひっかかった。トイレの前で取った写真がある。みんな笑顔一杯だ。子供達は実は掃除が好きなのだ。仕事が好きなのだ。それを好きにするか、嫌いにさせるかは教師の言動にかかっている。

「清掃点検」に燃えている学校があった。毎日美化委員がチェックしてまわる。駄目なところに×をつけていく…。体操服に着替えてないと、×をつける。掃除をしているかいないかではなくて、体操服に着替えているかどうかで判断する。教師も「なんで制服なんだーっ!」と怒鳴る。これは教育ではない。勿論ある程度学校はきれいになるだろう。だけどだ、学校をきれいにするのが目的ではないはずだ。もしそうなら、業者を雇って掃除をしてもらえばいいのだから。

実は最初の内、僕は子供と一緒に掃除をしなかった。先輩の先生に習って、掃除を監督していた。「清掃点検」の片棒を担いでいたのだ。ある時S先生とM先生という二人の先生と同じ学年になった。その先生達はあたり前のように毎日子供達と一緒に掃除をしていた。子供達が遊んでいても、その二人の先生は黙々と掃除をしいていた。僕は子供達と一緒に掃除をするようになった。半袖短パンで額に汗しながら一緒に雑巾がけをはじめた。すると子供達も同じように膝をついて拭き始めたのだ。今まで足で拭いていた子供達が雑巾がけの楽しさを一緒に味わい始めたのだ。子供達は雑巾がけのテクニックと楽しさを伝授されてなかっただけだった。雑巾の濯ぎ方、絞り方、姿勢そしてかけ方…やって見せればみんなできるのだ。それから教室とトイレがどんどんきれいになっていった。きれいにすればする程愛情が湧いてくる。子供達は段々教室を汚さなくなった。「物にも心がある。」ということを感じ始めたのだ。「物にも心がある。」それは僕が父から教わったことの一つだ。小さい頃からよくそう言われたものだ。「新しいものがいいものではない。」「大事に使えば使うほど、物だって嬉しいんだ。」僕はその言葉を子供達に伝えた。本物だと思ったから…。

「清掃の時はジャージに着替えること。」そういうルールをいくら作っても、子どもの心は教育できないのだ。一生懸命掃除してきれいにしても、清掃時間内に終わらなかったので×などというのは教育ではない。トイレの便器にへばりついたババ糞をきれいにするのに時間をかけて何が悪いのだ。掃除は毎日のことである。毎日のことだからチャンスは広がる。子供達に大切なことを伝えるチャンスが広がるのだ。自分の国を汚さない子供を育てたい。自分達の地球を汚さない子供達を育てたい。それには心を育てるしか方法はないのだ。「取り締まり」ではポイ捨ては無くならないのだ。子供たちに掃除をやらせたかったら、やらせないのも一つの手だ。ダラダラしていたら一人だけで掃除をするのである。楽しそうに且つ必死にやるのだ。当然帰りの学活は遅くなる。だがそれを一週間も続けていると、子供達の方から「あたし達にもやらせて!」と言って来る。『やる気の無い奴はいらない。』「やる気あるから、やらせて!」という会話になるだろう。それから掃除のテクニックを教えるのだ。箒や雑巾の使い方を子供たちは知らない。そこまでいけば教室はあっという間にきれいになっていく。
* 子どもたちが黒目川にゴミを捨てていく。大人はタバコをポイ捨て、子どもはお菓子のゴミをポイ捨て・・・そこには家庭の躾も学校の清掃教育も感じられない。心を育てなければいけない。自分の国を汚さない、それも愛国心だろう。自分の街を川を汚さない。その当たり前のことを子どもたちの心に刻み込むことこそが、教育なのだ。大人がポイ捨てすれば子どもたちも真似をする。大人がゴミを拾えば、子どもたちもそれを真似をする。全てが大人にかかっているのだ。掃除好きな子どもを育てたければ、大人が掃除を好きになるしかない。子どもはルールや言葉では育たない。大人の後姿で育つのである。こどもは大人の鏡なのだ。さて、これを読んでいるあなたの後姿は、どんな後姿なのだろう・・・そして僕の後姿はどんなだろう・・・一度後ろから見ないといけないな。

新座駅
明日は新座駅の予定です。昨夜寝たのは1時過ぎだったので、今夜は0時くらいには寝るようにしたいものです。凄く疲れていたのですが、昨夜買った鼻への塗り薬が効いたらしく、夜中に鼻で呼吸できるようになったら、かなり元気になりました。駅立ちに燃えるみなさん、お互いに頑張りましょう。駅立ちの前に、少しだけ駅を綺麗にして、そして通勤の方たちが元気になるような、そんな朝の挨拶をしていきましょう。たかやん