4月17日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第106弾! 2009.4.17(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第106弾! 2009.4.17(金)   たかやん

4時55分
外はかなり暗い。天気が悪いのだ。まずメールのチェックをし、次は新聞で目を覚ます。森田健作の「完全無所属」は自民党の常套手段。それを知らない市民のほうがおかしいんじゃあないのか。なんていうのは言いがかりか・・・。新座市議会選挙でも自民党の人たちは、全員「無所属」なのだ。自民党と胸を張れないところが、日本の政治のおかしいところ。オバマが「民主党」を名乗らないで大統領選をやるようなもの。自民党は自民党とハッキリいい、民主党は民主党とハッキリ胸を晴れるような政治が正しい。その点、公明党と共産党はハッキリしていて分かりやすい。本当の無所属から見るとそんな感じかな。

新座市政
森田健作より、さらに分かりにくいのが新座市政だ。3月議会で予算を含む「市長提出議案」に対し、殆ど質問することなく、その全てに賛成したのは「自民」「公明」「刷新の会(民主・無所属)」の3会派。市長選では田中幸弘を応援した民主党議員はどこへ行ったのだろう・・・市民がそう思うのは当たり前だ。よく「共産党は何でも反対する」と言う人がいるが、実は「何でも賛成」の方が困るのだ。いいものは賛成する。駄目なものは反対する。それが議会の役割なのだから・・・。26人の議員のうち、19人が市長提出議案に対し「何でも賛成」じゃあ市長はなかなかやめられない・・・。僕が市長なら、間違いなく次もやる。

議案説明会
新座市には他市にはない「議案説明会」なるものがある。全て賛成の会派は議会の前に市長から、議案の説明を受けるのである。前もって議案の説明を受けるのだから、“何かあったらその場で言ってね。議会では反対しないでね。”と、言うことになる。何でも賛成の会派と執行部との「忘年会」もある。「歓送迎会」などもあると聞く。市長だけでなく、部長達執行部と議会がどんどん仲良しになっていく・・・。議場で厳しい追及ができないのは当たり前か・・・。仲のいい友達を追及するのは誰だって大変だもの・・・。市長が選んだ部長達は市長には逆らえないだろう。こうして市民の要望とはかけ離れた政治が行われていく・・・そう考えるのは僕だけだろうか。少なくとも朝の5時から、そんなことを考えるのは僕だけだろうなあ・・。

ユニクロ
母さんが「ユニクロへ行きたい」というので、東久留米のユニクロへ行った。ところが店が開いてない。開店時間は11時なのに僕らが行ったのは10時半だったのだ。花屋さんで時間を潰して、再びユニクロへ。すると開店を待っていたおっさんがタバコを吸いながら車から降りてきた。(こいつタバコ捨てるな・・・)と思った瞬間、おっさんはタバコを道路に捨てた。「何で、タバコを道路に捨てるかなー!!」と後ろから大声を出す僕。驚いて、僕の顔を見るおっさん。コソコソと逃げるようにユニクロに入っていく。そして僕もユニクロへ・・・おっさんは僕の顔を見るたびに、逃げるように移動して・・・どこかへ行ってしまった。日本中にこういうオッサンがいるのだ。愛国心の欠片もないオッサン達が、この国を汚していく。

教師を目指す人へのメッセージ
第十五歩 「給食」
給食を馬鹿にしてはいけない。何と言っても人生の三分の一の食事が給食になるのだから…。この給食を美味しく食べるか、嫌嫌食べるかでは教員人生が変わってしまうくらい影響があると思わなくてはいけない。不思議だったのは牛乳だ。僕は中学生の頃、給食室の前に残っていた古い牛乳を飲んで食中毒症状を起こして以来、牛乳は飲めない体だったのだ。高校でも大学でも、もういいだろうと思って牛乳を飲むと…ピィーピィーだった。それがどうだ、教員になった瞬間から牛乳を飲んでも平気になってしまった。学校の牛乳は薄いという噂もあるが、とにかく僕はプロ意識が牛乳を平気にさせたのだと思っている。

僕のクラスでは給食は毎回くじを引いて決めていた。中学生になると「好きな人と食べたい。」という子が多いのだが、それは許さなかった。そして給食中はとにかく子供達と話をした。同じテーブルに座った子全員と必ず話をすることにしていた。

給食が終わるとジャンケンである。片付けをジャンケンで決めるのだ。それもサンマーといって、3回負けると負けというルールで遊ぶ時間を作った。勿論自分が負けたら片付けをしなくてはいけない。僕がたまに負けると子供達は大喜びだ。これは決して平等な結果にはならない。負ける子はよく負けるし、勝つ子は良く勝つ。それでいいのである。

僕のクラスはお代わりもジャンケンだった。男の子だけとか、力の強い子だけがお代わりをするようなクラスはいただけない。いつもジャンケンということになれば、女の子も力の弱い子も十分に戦えるという訳だ。結果は平等でなくてもいいのだ。みんなが平等に戦えれば……。

給食で気をつけなければいけないのは、アレルギーである。中には痙攣を起こす子もいるから、決して無理強いして食べさせてはいけない。お弁当を持ってくることもOKなのである。みんなと同じものを食べることを強制したら、軍隊か刑務所になってしまう。みんなと同じ物が食べられることは幸せだということはできるが…。

僕らが言えるのは「好き嫌いなく食べるのがいいね。」「おいしい、おいしいって思って食べよう。」「最低20回は噛んでたべよう。」くらいである。学校で食生活の躾はできないし、してはいけない。食べ物に感謝する気持ちを育てたければ自分がそうすることだ。給食の味は栄養士によって、物凄く違うことがある。そういう時は諦めが肝心である。じたばたしても味覚というのは変化するものではない。同じ材料を使っていても味が変わるのが料理だ。自分で調味料などを用意して、何とか切り抜けることを考えよう。教室にトースターを置いておくのも良いかもしれない。パンの添加物はトーストすることでほとんどが飛ぶらしい。自分の健康は自分で守るという姿勢を子供達に見せなくてはいけないのだ。

添加物の事は子供達におりを見て話をしよう。子供は「良い言葉と良い食べ物」で育てられる権利があるのだ。子供達の健康を蝕む添加物にはいつも注意を払っていなくてはいけない。ビタミンの話も、ミネラルの話しも給食の度にすればそれは立派な教育になるのだ。

「給食」の時間は楽しい。子供たちと同じ席について、同じ目線で話ができる時間だから・・・。この時間を無駄に使ってはいけない。チャンスは毎日くる。それを逃してはいけないのだ。

*チャンスは毎日くる。そうチャンスは毎日来ている。そのチャンスをつかまないと、子どもたちの心はどんどん遠くへ行ってしまう。「子ども達と過ごす時間がない」という話を聞く。確かに、昔の僕らより子どもたちと過ごす時間は少なくなっている。くだらない仕事が増えているのだからしょうがない。それでも、給食は一緒に食べられるはずだ。「同じ釜の飯」を食うのである。その感覚が大事なのだ。「給食と昼休み」こそ、神様が下さった時間なのである。