4月19日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第108弾! 2009.4.19(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第108弾! 2009.4.19(日)   たかやん

5時
ひとのラケットで試合をした。場所は朝霞のオムニコート。しかもシングルス。体が思うように動かない。しかも相手は知らない女・・・・いや、綾瀬はるか。まさかね・・・。見とれているうちにパスをスカスカ抜かれて、4−6で負けた。握手しようとネットへ近寄ったところで目覚ましの音。目が覚めてしまった。綾瀬はるか・・・テニスの後は食事に誘って・・・その後は・・・目覚ましの時間を少し遅らせておけばよかった。

6時
庭の花たちは朝露で濡れていた。今朝も母さんと黒目川に「散歩&ゴミ拾い」。母さんと二人、気持ちのいい時間を過ごした。

春の野に出て
五中・六中時代、この時期になると理科の授業で数時間は黒目川に散策に来ていた。ヒメオドリコソウ・カラスノエンドウ・ナズナ・ハルジオン・ホトケノザ・スズメノカタビラ・・・・目立たない「雑草」にも名前があることを知る子どもたち。黒目川で過ごした時間の感覚は今でも覚えている。空の誕生日には植物図鑑でも買ってあげよう。そして一緒に黒目川の草花の勉強をしよう・・・

紙に書いときな!
6歳の誕生日に「DSが欲しい!」と空。長男の亮で苦い思い出がある僕は、「ゲームは買わない」と言うが、空はあっちこっちでお願いをしていたらしい。所沢のお母さん(空のおばあちゃんにDSのソフトをまず買ってもらい・・・)におねだりし、母さんにはDS本体を買ってもらう約束を取り付けていた。そして昨夜、「パパ、DSっていくらするの?」「DSは高いよ」「480円くらい」「うーん、もうちょっと高いかな」「じゃあ、800円くらい?」「800円じゃあ買えないよ」「じゃあいくらなんですか」「2万円くらいかな」「おばあちゃん、2万円だって、忘れないように紙に書いときな!」「馬鹿、お願いしているのに・・・・忘れないでくださいね。だろ!お願いしますだろ?」「・・・・・お願いします」もう直ぐ6歳になる空。知恵はついてきたが、日本語はまだ幼稚園レベル。幼稚園児だから当たり前か・・・・。

通告
ちと早いが、6月議会の通告書を作成した。あと一月あるので、色々と修正されるだろうけれど、作っておけば安心だ。今のところ質問項目は7項目。今回もメールでの通告にしよう。

自転車掃除と英会話
庭で自転車の掃除をした。ただ磨くのはもったいないので、英語のテキストを置いて、暗誦しながら掃除をした。議会報告のポスティングにもテキストを持って行こうっと・・・。

ポスティング1
午前中は空と二人で歩いてポスティング。天気はいいし、空のスイミングの仲良しと会えたし、楽しい、楽しいポスティングだった。天気がいいと、外にでている人も多く、見知らぬ人にも「読んでください」と手渡した。その中に「こんにちは!」と向こうから笑顔で挨拶をしてくれた男性がいた。(ん、どこかで会った気が・・・)「あ、こんにちは!」と僕。「いつも駅で配っている方ですよね。」「あ、はいそうです。」「頑張ってください」「ありがとうございます!」こういう瞬間が堪らないのである。

ポスティング2
午後からは空と自転車でのポスティング。「ワオーン!」と突然犬に吠えられ、顔が引き攣る親子。「ああ、びっくりした!!」と言いながら、「もう一度、見てくる」と犬の方に行く空。午後のポスティングも楽しかった。

教師を目指す人へのメッセージ
第十七歩 「感想」
「義務教育」という言葉を使って、子どもを縛ろうとしてはいけない。「君たちは学校に来なければいけないんだ。義務教育なんだから…。」という教師が多く存在するのは事実である。行きたくないけど、「義務教育」だから行かなくてはいけない。そういう子供達が増えてしまうのだ。だから僕は「権利教育」なのだといった。『君たちには権利しかない。義務などはないのだ。だから学校に来る義務などないのだよ。大事なのは君たちに学校で勉強する権利があるということ。そしてその権利は誰にも奪うことなど許されないのだ。』僕はそう言い続けてきた。『その大切な授業を邪魔することは誰にもできない。いいね?』人が必死で聞こうとしている授業を邪魔することはいけないことだ。それを「義務教育」という言葉で説明してはいけない。「権利教育」という言葉で説明すると子供達は納得する。

第一「義務教育」というと、いかにも授業がつまらなそうだ。つまらない授業をしても「義務」だから「我慢」して勉強をしなくてはいけない。そういう教室が目に浮かんでくる。違うのだ。授業は楽しくなくてはいけない。子供達がワクワクしなくてはいけない。分かるように仕組まれてなくてはいけない。「授業」とはそういうものなのだ。勿論毎回そういう授業にするのは難しい。クラスに40人もいれば色んなことが起きる。でも…少なくても、そういう授業にしようとする努力を教師はしなくてはいけない。

教師という仕事の恐いところは、去年と同じことをしていても飯が食えることである。去年から何の努力をしていなくても、給料は上がっていく。分からない授業をして、子供達が苦しんでしても、「授業をちゃんと聞いていないからだ!」と生徒のせいにする教師は多い。僕は空き時間に授業を聞きにいったことが何度もあるが、それこそ授業のレベルは1から10まであった。こどもの目を見もしないで授業を淡々と進めている人も随分いた。自己満足型授業である。多いのは、子どもが質問すると「話を聞いていないからだろう!」と怒るタイプ。責任転嫁型授業である。いずれにしても、基本的には分からないのは授業のやり方に問題があるのだ。

ではどうするか…。子供達に毎回「感想」を書いてもらうのだ。50分授業の最後の五分は「感想タイム」。最初の五分で子供達を引き付け、40分集中させて、最後の五分は感想。僕の場合はこれが一番上手くいった。勿論、授業は自分で作っていく方が面白いから色々やってみるのがいいだろう。同じパターンは子供達を安心させるが、飽きさせることも事実である。時々刺激を与えることも大切だと思う。それこそ、子供達の目を見ていれば自分の授業のレベルが分かるし、自分の授業に何が足りないかが分かるようになるのだ。子どもの目にやる気が無かったら、こどもにやる気が無いのではない。自分の授業が下手糞なんだ、そう思った方がいい。少なくてもプロの教師はそう思わなくてはいけない。勿論感想に点などつけてはいけない。「つまらない!」「わからない!」と書かれても怒ってはいけない。それをありがたく受け入れなれないようではプロにはなれない。お客様の声を大切にすることを忘れてはいけないのだ。こども達の感想は僕たちへの「通知表」なのだ。
*この感想には評価の仕方が関係ある。「絶対評価」は勿論のこと、授業態度や感想の内容では評価はしないという安心感がないと、子どもたちは本当のことを書いてはくれない。定期テストで平均90点以上取ったら、誰でも必ず「5」。70点以上は「4」・・・・そういうハッキリとした基準を前もって宣言しておき、その通りに評価することで、子供たちの本音が聞けるのだ。自分の言うとおりに勉強しようが、子どもたち独特のやり方で勉強をしようが、結果がでればよし。そういう太っ腹な態度で子どもたちと接することが大事だ。最近流行の「家庭学習ノート」なるものには大いに疑問を感じる。家庭学習ノートを書いて提出することが「勉強」だと思っている子達のなんと多いことか・・・・。あまり勉強ができなかった先生が考えた方法だろう。少なくても賢い先生の考えた方法ではないはずだ。