4月21日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第110弾! 2009.4.21(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第110弾! 2009.4.21(火)   たかやん

パーセントと割合
今朝は舞ちゃんと算数の勉強をしながら学校へ行った。算数の苦手な舞ちゃんだが、ちょっとコツを教えるとなかなかいい筋をしていることが分かった。手は思うように動かないが、頭は動くし、言葉も何とか出てくる・・・・。できないことが、できるようになることは誰にとっても嬉しいこと。障害があるもないも関係ない。年齢にも関係ない。
「たかやん、今日はね学力テストなんだよ」「あ、そっかあ・・全国統一学力テストか・・」「そう、それ・・・あたしね、算数は何点でもいいんだけど、国語は満点取りたいんだ・・」「そっかあ・・頑張ってね」今日のテスト、舞ちゃんとさなちゃんは別室での受験になるらしい。二人とも頑張れ!

疑問
全国統一学力テストには大いに疑問を感じる。私立の学校で不参加を決めたところは、僕と同じ疑問を持ったからではないかと思う。市長が替わった犬山市は残念ながら学力テストに参加となった。それでも自分達で採点するなど、国を相手にイエスマンにならないところが犬山市らしい。あのテスト、各学校で採点すれば安上がりに済むし、答案の返却も早くなり、テストの目的にかなうのである。新座市教委も大いに疑問に感じて欲しいところだ。授業時間を潰してのテストなのだから・・・・。

友達
午後に友達が遊びに来た。若いけれど自分の意見をしっかりもっている友達だ。考え方は違ってもいいのだ。自分の考えをしっかりと持っている人間に僕は魅力を感じる。「熱」のある人間に僕は魅力を感じる。いくつになっても友達っていいなあ・・と思う。

教師を目指す人へのメッセージ
第十九歩 「学校という狭い世界」
学校という社会は狭い。教師という職業が難しいのは、学校以外の社会を知らない教師が無限の可能性を秘める子供達と接するところにある。どこかで浪人したり、留年したりしている教師はまだましなほうだ。現役で教師になったりすると、小学校1年生から「学校」という社会しか知ら無い訳だから困ったことになる。「学校」の価値観は社会では通用しないと思った方がいい。

例えば修学旅行がある。僕のいた新座市ではほとんどの学校が奈良・京都への修学旅行だった。それも旅行業者にお任せのお金のかかる旅行だった。その事に疑問をもった友人が林間や修学旅行を生徒に企画させようとした。(一部の私立では当たり前のことかも知れない。そういう学校があると聞いている。)国民自然の家を利用し、バスの手配から何からみんな子供達でおこなったのである。その結果、2泊3日のクラスごとの分泊の林間学校は3500円しかかからなかったのである。しかも自由時間はたっぷりあり、ご飯はお代わり自由で美味しくて…。彼は修学旅行にも同じ事をやろうとした。分泊の修学旅行である。生徒たちも自信を持っていた。「次ぎは修学旅行だ!」と。しかし、教育委員会から横やりが入る。校長が呼ばれ指導を受ける。「三中だけ特別なことをやってもらっては困る。」という訳である。そして彼は校長に指導を受ける。結局彼は「修学旅行を自分達の手で!」と約束した子供達に、涙の敗北宣言をするのである。子どもと親に圧倒的に支持された有能な教師が、こうやって「不適格」の烙印を押されていくのである。

切符を買う手数料は11%。一人50000円の切符だと一人当たり5500円の手数料を業者に払っていることになる。切符を買うだけでだ。自分達で東京駅に買いにいけばただなのにである。原因は旅行業者との癒着にある。

旅行業者は林間学校や修学旅行の手数料が大切なのだ。一度業者と馴染みになると、公私の区別がなくなってくる。例えば職員旅行や校長会の旅行などは、かなりの割引やお土産がついてくる。その分は子供達から、というシステムなのだがそれが分からない。林間や修学旅行の下見もそうである。至れり尽くせりの下見に教師達はコロリとやられる。美味いものを食べさせてもらい、お土産をたくさんもらって、おまけに旅行の計画まで立ててもらえるのだからたまらない。自分達は楽な思いをして、その分を子供達からぶん取るという構図が「教育」な訳はないのだが…。そして僕が一番嫌いだったのは旅行での「接待」である。修学旅行の夜、子供達には「早く寝ろ!」と怒りながら、自分達は「反省会、打ち合わせ」と称して飲むのである。僕は修学旅行の夜、子供達と語るのが好きだった。子供達と夜を徹して語るチャンスはめったにない。そういうチャンスを飲み会で潰してしまうのだから始末に終えない。挙げ句の果てに酔った勢いで寝ない子供達を怒り、廊下に正座させたりするのだからどうしようもない。

しかし、学校ではどうしようも無い方が普通で、普通な方がどうしようもなくなったりするのだ。学校という社会は狭い。その狭い社会で当たり前のことは、子供たちが出て行く実社会では通用しない。朝早く学校へ来て怒られる子供たち。「朝練の時間は7時半からだ!」という教師。どうして「頑張るなあ・・・7時半からの練習なのに1時間も前から来ているのか・・」と誉められないのだろう。
*「家の子の担任休んでばかりなんです。自習ばかりなのに、誰も先生がつかなくて・・・」「先生の平均年齢高すぎませんか」議会では市教委を追及してばかりの僕が、こういうときは学校側に立とうとするから不思議だ。「新座の学校はレベルが低すぎる」と東京の奴に言われると、本当にムカっとくる。ふざけんなよ!今に見ていろよ!と心の中で言う。何を言われても、僕は新座の学校が好きなのだ。だから空も新座の学校に行かせると思う。そして、新座の学校が県でも国でもトップになるように応援したいと思うのだ。五中も六中もそして二中も・・・新座中も三中も四中も・・・僕は涙がでるくらい好きなのだ。