4月22日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第111弾! 2009.4.22(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第111弾! 2009.4.22(水)   たかやん

いい天気
最近は5時でも明るくなってきた。昨日の雨が上がり、朝からいい天気である。体にいいものを食べ、体にいい運動をし、心にいい言葉をたくさん浴びたい一日である。食べ物には少しお金がかかるが(野菜中心なのでそれ程高くはない)、後のものは全てタダでできること。健康に生きるのに、お金はかからない。心にいい言葉は自分で言えばいいのだから・・・。

基礎英語
朝6時から45分間は基礎英語の時間。基礎英語1は空と基礎英語2は塾の子達とやっているので、聴くことにしている。最近の基礎英語はスピードもなかなかのもの。英語耳を鍛えるにはいいと思う。英語だけの講座も欲しいところだが、日本の小中学生には十分いけてるプログラムだと思う。

花粉と運動
少し花粉が楽になってきた。薬はまだ飲んでいるが、外でもマスクをしなくなってきたのだ。これからは運動の季節である。現在の体重は71.8キロの体脂肪率17.8。体重は67キロに、体脂肪率は15以下に落としたいと思っている。体を軽く、柔らかく、健康な状態に戻そうと思う。

編集後記
今日は議会便りの編集後記の締切日。初めてメールで原稿を送ってみた。今回の編集後記は「観光新座よりも環境新座、教育新座を。保谷・朝霞線、新座駅北口区画整理よりも保育園の新設、増設を市民は望んでいる。」

タイマー
英語講座を聞き逃さなくなってきた。これはタイマーの力が大きい。携帯のタイマーは本当に役に立つのだ。

還暦
親友が還暦を迎えた。彼女と出会ったのは今から18年前。当時は42歳だった。それから僕の人生には彼女は欠かせない人になった。彼女には時々アドヴァイスをもらう。僕には年上の、そんな素敵な女の親友がいる。

教師を目指す人へのメッセージ
第二十歩 「切り札」
どんな学校にも生徒指導の「切り札」と呼ばれるものがある。例えば職員室への呼び出しだったり、校長の説教だったり。そして保護者の学校への呼び出しだったり…だけど「切り札」を早すぎる段階で使ってはいけない。そりゃあそうだ。切り札なのだから・・。そんな当たり前のことが分かってない学校が多い。僕が最後にいた学校では「自転車で登校」しただけで、親を呼び出していた。誰にも迷惑をかけずに、(そりゃあ自転車置き場で多少迷惑をかけたかもしれないが…)誰を傷つけた訳でもないのに、いきなり親を呼び出すのだ。たかだか「校則」を破っただけで「切り札」を使ってしまったら、本当に人に迷惑をかけた時はどうするのだ。そして人を傷つけたり、自分を傷つけようとしたりした時はどうするのだ。本物の教師は「校則」を破られたことに感情的になってはいけない。大切なのは「規則」ではない。「マナー」である。教師達の言い分は「みんなが同じ事をやったらどうするの?」である。答えは簡単。「自転車置き場を作ればいいのだ。」交通事故は登校時だけに起こるだけではない。放課後だって日曜日だって起こる可能性があるのだ。そんなことをいっていたら高校も自転車通学ができなくなってしまう。そんなに交通事故が心配なら教師達も車での登校をやめたらいい。自分にはできないことを、生徒達にやらせてはいけない。煙草についても同じだ。子供達に「煙草は吸うな!」と本気で言うなら自分達も「禁煙」するくらいの信念がなくてはいけない。子供達は「本気」を見抜く才能を持っている。本気で怒れば必ず通じるものなのだ。「煙草は吸うな!」といいながら自分達は、休み時間に職員室でコーヒーを飲みながら煙草をプカプカ吸い、子供達の前に煙草臭い息で登場する。そういうセンスのなさを疑うのである。教師の煙草の臭いは間違いなく生徒を不快にさせる。煙草を吸わない同僚も、勿論同じだ。鈍感な教師達はそういうことにも気づかない。妊婦がいても平気で喫煙する職場があったりしたのだからひどい。これはもう学校以前の問題だろう。「規則」ではない。「マナー」なのだ。去年の1月から学校の敷地内は「禁煙」となったらしいが、教師たちが隠れて吸っていることは生徒達も知っている。自分達は「法律」という「ルール」をしっかり守っているから、(守っていないことも勿論あるくせに。)おまえらも「校則」という「ルール」を守れ!と言う。そこには人を思いやる「マナー」という考えは存在しない。そして一方で「ルール」といいながら「体罰」を含め、「汚い言葉」で子供達に暴力を振るう自分達には寛容である。プロの教師はそうであってはいけない。学校は楽しいところでなくてはいけないのだ。教師だけが楽しくて、子どもをいじめてストレスを解消するところではないのだ。学校に「取り締まり系」の教師はいらない。子供達の目を見ないで、服装は髪型にしか目がいかないような三流の教師になってはいけない。この学校は厳しいのだ。と本気でいうなら、まず自分達に厳しくなれと言いたい。勉強で厳しく鍛えようとするなら、教師はその何倍も勉強して自分を鍛えなくてはいけない。生徒に理解できない授業をすることがレベルの高い授業ではないのだ。生徒が理解できるような授業をすることがレベルの高い授業なのだ。そして生徒が勉強を楽しむことこそ大事なことなのだ。
切り札は最後に取っておこう。そしてできるなら、その札は最後まで使わないでおきたいものだ。切り札は子どもが泣く札でなくてはいけない。それでこそ、切り札なのだ。
*取締り系の教師はいらない・・・そう書いたが、いてもいいとは思うのだ。だけどみんなが取締り系になったら駄目だよ、そう言いたい。家に帰ったら、小言をいうお母さんばっかりだったら、子どもはおかしくなってしまうと同じだ。先生みんなが同じ事をいうような味気ない学校はいらない。「人はみんな違う価値観がある」ことを多感な時期に教えなくてどうするのだ。ものを盗んだり、人を傷つけたりすることと、学校の校則を守らないことは同じではないのだ。学校の校則は社会には通用しない。そんなものを社会にでる子どもたちに押し付けるほうがどうかしているのだ。