4月23日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第112弾! 2009.4.23(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第112弾! 2009.4.23(木)   たかやん

5時
朝の空気が清清しい。今日もいい天気だ。朝刊には千葉市長逮捕の記事が・・・・。政治と金か・・・・嫌だねえ。

臨時議会
明日は臨時議会。税条例の改正と21年度、一般会計補正予算が議題だ。補正は「けやきの家」の整備、1億1000万と農作物直売所管理の90万。そして中学校の扇風機設置工事の1150万円の三つ。9時〜議運だ。8時半には市役所に着くように行こうと思う。

草薙
酒を飲み、真夜中に裸で騒いではいけない。どうやら国民的スターが一夜で隕石となって落下してしまったようだ。大学の友達に五稜郭で同じようなことをやって捕まった奴がいたが、新聞にも載らなかったような気がする。(いや、載ったかも・・・)スターだから落ちると辛いのであって、最初から地面に足をつけている我々にしてみれば・・・・ストレスがあったのかねえ・・・なんて会話になったりする。特にスマップのファンであるお袋は彼には同情的で・・・「別に凄く悪いことをやったわけじゃあないわよね」「もっと他に悪いことをしている人は沢山いるわ」という感じ。スマップはどうなるのだろうねえ・・。

おんぶに肩車
「パパ、肩車して!」「パパ、おんぶして!」幼稚園から帰ってきた空が、色々要求してくる。「パパ、ちょっと来て!」「いいから来て!」と自分の部屋に呼びつける・・・。普通呼びつけるのは父親のはずなのだが、我が家では「パパちょっと来て!」は日常茶飯事だ。お風呂に入っても主導権は空。「今日は○○で遊ぶよ」と決めるのは空。僕は「九九を全部言えたらいいよ」と少しは反撃するが、いつも空のいいなりになってしまう。

教師を目指す人へのメッセージ
第二十一歩 「最初が肝腎」
「最初が肝腎」とよくいう。確かにその通りだ。しかしその肝腎を間違えてしまっている教師達がたくさんいる。「1年生の1番最初にびしっとルールをたたきこまないと。」と主張する教師達のことである。「チャイム着席」「ジャージでの清掃」「中学生らしい頭髪」「中学生らしい服装」とにかく最初にビシッと教え込まなければ、あとが大変である。と彼らはいう。答えはNOである。「1年生の1番最初にかわいがること。」それが大切なのだ。僕は21年間担任をやってきたが、ただの一度も1年生で担任をした子供達から暴力を振るわれたことはない。テニス部の子達と戦ったことはある。接し方が違ったのである。僕はクラスの子供達は徹底的に可愛がった。小学校でどんなに優秀な子であっても、どんなに悪いことをしてきた子であっても関係なく一日目で「名前」を呼んで握手をしてきた。掃除も一緒にやったし、家庭訪問にはその日の子供達全員を車に乗せて、ワイワイガヤガヤ話をしながら行ったものだ。給食は毎日くじを引いて、ジャンケンで片付けをして、昼休みは一緒にサッカーをやる。毎日帰りの学活ではギターを弾いて一緒に歌を歌う。そしてテスト前には「朝勉」で一緒に勉強し、テストも一緒に受けた。勿論怒ることもある。泣かすこともある。だけど、1年の終わりにクラスが解散する時にはみんなで泣くのだ。
そういう子供達の中に徹という子がいた。中2、中3は僕のクラスから離れ、接触する機会が少なくなった子である。その子が3年生になり、いわゆるワルになった。身長、体重も僕をはるかに越え担任の教師に対してもひどい態度を取り、弱い生徒に対するイジメも始まった。そういう時に僕は彼とぶつかった。何が原因かは覚えていないが、昇降口で僕は彼の胸ぐらをつかんでこういった。『徹!なにやってんだよ。お前は!』「…・・」彼は泣きはじめた。僕より背もでかいし、力もある中3がまるで中1の子どものように泣くのを見て、僕は彼が愛しくてしょうがなかった。そして自分のやり方が間違っていなかったと思った。子供達の心は僕と出会った時のままだったのだ。彼はそれから落ち着いた生徒になっていった。一方でテニス部の子供達とは違う接し方をしていた。僕が部活動で子どもを「名前」で呼ぶようになったのは後半になってからで、それまでは全部「苗字」で呼んでいた。僕に対しては全て敬語を使わせていたし、接し方もほとんどが命令調で暴力的だったのだ。要するに子供達は全く違う僕を両面から見ていたことになる。ただキツイトレーニングは一緒にやったし、遊ぶ時はあそんだから最後はやっぱり泣けた訳だ。でも僕に対して力で向かってくる子は思い返すとみんなテニス部の子供達だった。勿論素手で一対一で戦ったし、気合で一度も負けなかったし、今ではみんな笑い話なんだけれど、「最初が肝腎」なんだとやっぱり思うのだ。怒らなくてはいけない時はある。そこを逃してはいけない。怒るには気合が必要だ。ネチネチだらだら怒ってはいけない。怒ったら、さっぱり忘れてしまうぐらいの技量がなくてはいけない。それができないのだったら、怒らない方がうまく行くかもしれない。昔は学校に一人や二人、怒るのが名人という先生がいた。今はあまり見当たらない。だったら家で鏡の前で練習することだ。気合を込めてイメージトレーニングをすることだ。笑顔も怒る顔も練習で作れるものなのだ。
役者
教師は役者でなければいけない。授業は舞台そのものだ。そして、ある時は父親役になり、ある時は母親役にもなり、そして兄貴にもなる・・・勿論、悪役にだって進んでなるのだ。子ども達のためになら、どんな役者にでもなってやる!それくらいの気持ちで子どもたちの前に立つことだ。そう毎日が舞台なのだ。同じ舞台は二度とない。子どもたちとの一日、一日を大切にして欲しい。