4月24日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第113弾! 2009.4.24(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第113弾! 2009.4.24(金)   たかやん

臨時
今日は臨時議会。いつものように歩きか自転車で行こうと思ったのだが、空が遠足で、ママがテニスの試合。空を幼稚園へ送り、そのまま市役所に行くことになった。

ゴミ
車を運転しているときは、流石にゴミに集中はできない。それでも、時々目に入ってくるゴミの場所は覚えた。次の機会には拾ってこようと思う。

議運
9時からは議運。市長と二人の部長も参加して、今日の臨時議会の進め方の打ち合わせをした。

本会議
9時40分に本会議が始まった。新執行部は全部で9人。フレッシュな顔ぶれが前に並んだ。

全協
本会議の後は全員協議会。5つの議題についての質問と答弁があった。語る会は勿論、どの会派からも活発に質問がでていた。10時18分。共産党の小鹿議員の質問の最中に執行部で居眠りをしている方が1名。最前列だったので、かなり目立ったなあ・・・。

おいおい・・・
新座市は緊急雇用対策で「カーブミラーの点検や清掃」の事業を創出し、19名を募集したが7人の実績しかなかった。そのことに僕はこう質問した。そういう目立たない仕事もいいけれど、道路や公園、河川などの清掃業務は考えられないか。「観光新座」なのだから、市民も喜ぶと思うがどうか・・・。それに対する市長の答弁は「道路や公園などは町内会などのボランティアの心で清掃をするという方針なので、そういう考えはない」というもの。僕は道路も河川もボランティアで掃除をしているが、そんなものでは追いつかないほど新座市内は汚れているのだ。ボランティアをやっていない人には分からないかもしれないが、その答弁にガッカリしてアホ臭くなり、それ以上の質問をやめてしまった。カナダのトロントへ行ったことがあるが、ゴミが殆ど落ちていない。市の職員がまるで東京ディズニーランドのように片っ端からゴミを拾ってあるくのである。勿論、市民にもゴミを捨てない意識が強くあるのだが・・・・観光都市新座とは雲泥の差なのである。観光都市新座は掛け声だけ、市長には本気で新座市を綺麗にしていこうなどという気持ちがないことがよーくわかった。

うどん
昼ごはんは久しぶりに外に出た。きんぽう食堂の下にある「うどん屋」さんに行ったのだ。そこには僕の教え子達が3人も働いていて・・・もの凄く美味しい「肉汁てんぷらうどん」の中を食べたのだった。だけど、中は多すぎた・・・午後の議会で眠くなるのではと心配になった。

テレビの力
臨時議会の傍聴は一人。午後になってお休みになる方たちが増殖。最大瞬間睡眠数は7名に・・・1階のテレビには議場全体を映し出すことを提案したい。

教師を目指す人へのメッセージ
第二十二歩 「ノート勉」
子供たちに力をつけるには、いいフォームで勉強することを教えなくてはいけない。それには「ノート勉」がいい。ノート勉は簡単だ。まず授業に集中してノートを取る。目いっぱい部活をやって、疲れていても寝る前に枕元にその日のノートをちょいと並べる。そして目を閉じて授業を思い出すのだ。そして思い出せたら寝てしまう。思い出せなかったら、ノートを見て思い出すのだ。記憶は寝ることで“長期記憶”になることが確かめられている。その脳の仕組みを利用するのだ。そして朝・・・目を覚ましたら、また昨日の授業を思い出すのだ。これを“思い出し勉”という。このノート勉の効果は絶大である。嘗ての教え子で、この勉強法で学年で一番になり、浦和高校でも一番になり東大へ行った子がいた。安くて、時間が節約できて本当にいい勉強法だと思う。このノート勉が出来るようになると、自然に授業に集中するようになる。「授業に集中しなさい!」と言っても、子供たちはなかなか集中できないものだ。だけど「ノート勉は楽しいぞ!この勉強法は科学的根拠があって、しかも時間はかからないんだ!」というと、子供たちはやり始めるのだ。そして自然に授業に集中するという訳だ。
ノートの取り方も色々ある。“マインドマップ”を描いたり、絵を入れてみたり、色々工夫してノートを取ることで、脳はどんどん進化していく。自分が黒板に書いたままのノートを見てもつまらない。それは写しただけだから・・・・。だけどそれが変化して子供たちの中で消化しているのを見るのは楽しい。だからなるべく授業中に子供たちのノートを見ることだ。たくさんのノートを見て、良いノートがあったら、みんなの前で大声で誉めることだ。ユニークなノートがあったら誉めることだ。
よく「ノート点検」をする教師がいる。あれはよくない。第一にノート勉の権利を奪っている。仮にAを付けたとしても、教室でみんなの前で誉めたことと比べたらたいしたことはない。子供たちは教師に誉められるのを待っている。Aという数字で誉めるのと、教室でみんなの前で誉めるとでは全然違うのである。「ノートを提出しないと減点です!」などと言っている教師はアマチュアだと自分で言っているようなものだ。普段の授業の中で子供たちの生のノートを見ていないのだから・・・・プロの教師は“授業”というドラマの中で子供たちの変化を見なくてはいけない。そういう意味では教師は舞台俳優でもある。舞台で発言した台詞は訂正はできないのだ。授業は舞台。真剣勝負なのである。そういう意味でも教師は“役者”なのだから、目にはいつも力がなくてはいけない。舞台で目が死んでいたら観客は幻滅してしまう。観客はお金を払って来ているのだ。そのお客を楽しませるのがプロなのだ。三流の役者でも毎回一生懸命演じていれば二流になる。そして魂をこめれば一流になっていく。授業の中で子供たちのそばに行くチャンスを逃してはいけない。どんどんノートを見に行くことだ。そしてどんどん誉めることだ。そしてひどいノートがあっても他の子と比較してけなしてはいけない。その子のノートの変化をみるのだ。どんなに汚いノートでもその子に真剣に接していれば、ノートはどんどん変化していく。それが面白いのである。舞台は毎日ある。だけど同じ舞台は二度とない。
*あら・・・昨日の日記にも同じようなことを書いた気がする。五中時代、一番前の席で綺麗なノートを書く女の子がいた。彼女は本当に授業に集中し、僕の話に耳を傾けていた。そして驚くほど綺麗なノートを取っていたのだ。彼女は「御茶ノ水」に進学した。やっぱりノートの力は凄いと思った。一方で祐二という男の子は僕の授業で一度もノートを取らなかった。1年生のとき「何でノートを取らないの?」と聞くと「真剣に聞いているから」と答えた祐二。「あ、そう」と僕。彼は1年から3年まで理科だけはずっと5だった。そういう子もいるから学校は面白いのだ。