4月25日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第114弾! 2009.4.25(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第114弾! 2009.4.25(土)   たかやん


大型連休の初日は雨。ゴールデンウィークだと浮かれている人たちにはいい雨だろうし、仕事ができないと落ち込んでいる人たちには悲しい雨。僕の場合は浮かれてはいないし、落ち込む暇もないので、ただの雨。

深谷市
「今月いっぱいで副市長と教育長の専用公用車を廃止すると発表した。市長専用車についてはリース契約が残っているため、しばらくは利用するが、契約期間内での廃止も検討する。」そういう新聞記事が川越の友達から送られてきた。僕の議会報告3月号で提案したことを深谷市はもう実現するのだ。深谷市にできて、新座市にできないことはない。みんな自家用車を持っているのだから、自分で運転すればいいし、それが駄目なら市役所の前のタクシーを使えばいいのだ。6月議会の一般質問の通告書に書いたとおりに質問しよう。

草g2
どうやらこのスターは地球に激突する寸前に世論(ファンの力?)で空に舞い戻りそうである。自民党の鳩山さんは「最低の人間」と言ったようだが、彼が最低ならどこかの企業から違法な献金をしっかりもらっている政治家達は「最低の人間」のはるか下の極悪人だろう。そのもっと下で蠢いているのが、子どもを殺す親たちである。草g剛は確かに恥ずかしいことをしたかも知れないけれど、人として許せないようなことはしていない。地デジのコマーシャルが没になるらしいが、地デジそのものが没になった方が国民のためかも知れない。

みどりジャージ
家の前のウェルパークで六中緑ジャージのMさんに会った。家でパソコンを見ると、同じ学年の華からメールが来ていた。華は卒業するとき、僕の下駄箱の裏に「たかやん、愛してる!」と落書きしていった女の子である。その落書きは僕が六中を去るまでそのままだった。今日はみどりジャージを感じた一日だった。

古都
そう言えば昨日は岡山の古都からメールが来ていた。古都は六中最初の赤ジャージで、1年2組。僕を含めて、沢山の人間の運命を変えた女の子である。卒業式の日に体育館の壇上で「私にはお父さんがいません。たかやんが私のお父さんです」古都はそう言った。久しぶりの娘からのメールは本当に嬉しかった。

教師を目指す人へのメッセージ

第二十三歩 「僕の失敗」
最初に担任した3年4組でのことだ。何月頃だったか、女の子達が4人授業をサボっていなくなったことがあった。僕は空き時間に子供たちを捜しに行った。彼女達はあるアパートの屋上にいた。
『何やってんだ!心配したぞ!』と僕。すると彼女達からこういう言葉が返ってきたのだ。「あたし達のことを先公が心配する訳ないじゃん!」「なんであんたがあたし達の心配するわけ?」『俺は・・・・俺はお前達の担任だー!馬鹿やろーっ!』僕はどうしたらいいか分からず、彼女達を置いたまま学校に帰ってきてしまった。
そして隣に座っていた3組の担任のベテランの帯刀先生に『こういう時、どうしたらいいんですか?』と聞いたのだ。そうすると帯刀先生はこう言った。「あんたに分かったら俺達やあ飯の食い上げだよ。」そしてニヤッと笑って僕に煙草を差し出したのだ。僕は煙草をやめていた。中学生に「煙草を吸うな!」という以上、自分が吸っていたらしめしがつかないと思っていたのだ。だけど・・・僕はその一本を吸ってしまった。一服すると確かに少し落ち着いた気分になった。
それがきっかけで、僕はハイライトを一日50本吸うようになってしまった。人間は弱いなあって思う。僕は彼女達のことはそれから先もずっと分からなかった。考えて見れば当たり前なのだ。23年しか生きていない男が、それも男だけ3人の兄弟の中で育った男が15歳の女の子達の気持ちが分かるわけがないのだ。それでも卒業式の日にみんな泣いて抱き合えたのも、彼女達が結婚式に僕を呼んでくれたのも、僕が彼女達から逃げなったからだろう。全然分からなくても、分かろうとするエネルギーがその時の僕にはあったのだ。

同じクラスの話だ。掃除の時間に2階の僕の教室から雑巾が落ちてきたことがあった。それを見て激怒したのが、僕の副担の大熊先生。この大熊先生は恐くて有名な英語の女の先生だったのだが・・・・「誰だーっ!雑巾を落とした奴は!」と叫び、僕のクラスまで職員室掃除の生徒を行かせ、落とした子を職員室に連れて来させたのだ。そして僕の目の前でいきなり訳も聞かずにバシッっと本で頭を叩いたのだ。(助けて!)という目の文子。だけど・・・僕は情けないことに、その大熊先生が恐くて何も言えなかったのだ。僕が担任なのに、僕の前で行われている理不尽なことから自分の生徒を救うことができなかった・・・。その時の文子の僕を見る目を僕はずっと忘れられないでいる。そして今でも後悔しているのだ。

自分のクラスの子を救えなかったら担任の資格はないと。それから僕は戦うようになった。どんなことがあっても担任している子達の側になっている自分がいた。勿論悪いことしたときは一緒に謝った。職員室前に一緒に並んで正座もした。文子の時のように後悔したくはなかったのだ。もう二度とああいう思いをさせてはいけない。僕はそう思ったんだ。
*何があっても他の先生に殴らせてはいけない。殴る必要があるときは、担任が自分で殴るのだ。殴るなんてトンでもない・・・それなら叱ればいい。他の先生に叱らせてはいけない。自分が本気で叱ることだ。自分のクラスの子供たちを学年のほかの先生達に叱らせてはいけない。集団で叱る(いや怒るだなあ)のが一番いけない。担任が叱っても、子どもたちには他の先生という逃げ道がある。それでいいのだ。そのときは自分が嫌われてもいいのだ。兎に角、その子どもたちに本気でぶつかっていくことだ。子どもたちは大人が思っているようにおかしくはなっていない。ちゃんとまともな心を持っている。それを開けられないのは、教師の力が足りないからだ。人としての力が足りないからだ。