4月26日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第115弾! 2009.4.26(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第115弾! 2009.4.26(月)   たかやん

水元公園
心配していた雨が上がり、午前中から葛飾区に出かけた。五中時代の教え子に呼ばれて、水元公園のこども祭りに行ってきたのだ。

350円
大泉から外環に乗った。いつもは500円の外環が350円。たったの150円だが、儲かった気分になるから不思議だ。

時速80キロ
空が生まれてから、スピード違反をしたことが殆どない。今日も他の車が100キロを軽くオーバーして走る外環で、僕は80キロ以下をキープして走った。その僕の車をもの凄いスピードで追い抜いた黒い車が、覆面パトカーに捕まっていた。

新居
快治の家は新築の2階建て。ロフトがついていて、なかなかお洒落な家だった。階段のない我が家で育っている空は、その階段を上ったり、降りたり・・大忙し。慶子ちゃん手作りのパンとパスタで腹ごしらえした僕らは、快治の7人乗りの車で公園に向かった。

数万人
多分、数万人という単位の人で公園は溢れていた。お祭りの規模がもの凄いのだ。公園全体が水と芝と木々で出来ている水元公園。空たちは木工細工、輪投げ、太鼓、ペットボトルロケットと遊びに遊んで、お菓子を貰って、大喜び。最後にカキ氷を食べて、みんなご機嫌だった。

辛!
慶子ちゃんは早めの夕飯まで用意してくれた。そのうどんの美味しかったこと。元うどん屋がいうのだから間違いない。その調味料の辛かったこと・・・。「狂辛唐辛子」という唐辛子は美味しかったけど、本当に辛かった。

4月号
よしのり君からメールがあった。明日は朝霞台で駅立ちをやるらしい。凄いなあと思う。僕は朝霞台でやったことは一度もない。僕の4月号は連休明けにひばり、東久留米、志木、新座で配布予定である。

教師を目指す人へのメッセージ

第二十四歩 「絶対評価」
僕は「授業態度」を評価に入れたことはなかった。それは昔の苦い思い出があるからだ。中学校二年の時のことだ。理科のテストで僕は満点を取った。学年で一人だけだった。僕の中学校は新宿区立西戸山中学校。新宿では有名なモデルスクールだった。ようするに頭のいい奴がたくさんいたのだ。その西戸山で学年一番を取ることはたとえ一教科でも、僕にとっては奇跡だった。通知表は当然5。そう思っていたら・・・・・評価は4だった。「授業態度」が原因だった。佐久井先生という奈良女子大を出た女の先生は授業態度にうるさかった。僕は余りにも注意されるので、頭にきて勉強しまくって、その先生をやり込めるという遊びを始めたのだ。その結果テストはできたのだけれど・・・・。結局、授業態度に対する報復だった。僕はその通知表を母親の前で燃やしてしまった。だから理科の教師になった時に「授業態度」を評価にいれる教師にだけはなるまい、そう決めたのだ。ではどうやって評価するか。そうテストの結果だけで評価するのだ。だから1学期の授業のはじめに僕はこう言っていた。「テストの平均が90点を超えたら、誰でも5です。授業通に寝ようが、僕を殴ろうが必ず5をあげます。70点を越えたら誰でも4です。・・・・・・」そしてその通りに評価した。どんなに授業態度が良いい子でも、1点でも足りなければ容赦なく4をつけたし、僕に喧嘩をうってきた子でも基準を超えれば間違いなく5をつけた。「相対評価」が当たり前の時代だったから、同僚から色々言われることもあった。でも、公立高校へ提出する内申以外はこの「絶対評価」を通し続けた。そしてそれは子供達に信頼される一つの要素になった。“自分の好き嫌いを評価に入れない。”という信頼である。
今の子供達の話を聞くと、相対評価の時代は勿論、絶対評価になった今でさえ、教師の「感情点」「好き嫌い」が評価に入っている。ノートを提出しなければ「減点」。チャイム着席をしていなければ「減点」授業中騒いだら、テストがよくても平気で「1」「2」をつける。そういう教師がたくさんいるらしい。そもそも子供達の評価に「1」「2」が多いということは自分の授業が下手糞だということなのだ。それがわかっていないアンポンタンが多すぎる。平均点が低いと喜ぶ教師も結構見てきたが、どういう神経をしているのかと思ってしまう。最近新座のある中学校で国語の教師が1年生の五割程度の生徒に「1」をつけた。僕の感覚では「1」というのは音楽で言えば「お前は歌うな!」という数字だ。美術で言えば「お前は描くな!」という評価だと思っている。子供たちにはそれくらいのショックをうけるのだ。絶対評価になって、他市の評価は「4」と「5」がやたらと多くなっていると言われている今、いくら力がないからといって、そこまでやる必要があるのだろうか。力が無かったら、力をつけてあげるのが教師だと僕は思う。1をつけられた子達は今は2年生。もうすぐ3年生になる。本当に心配だ。僕の塾にも小学校で習った漢字が読めない中学生はいる。だから練習するのだ。小学校の漢字からやり直す。そしてできたら誉めてあげる。漢字が読めるようになると、本も好きになってくる。ただ「本を読め!」と言っても子供たちは本を読まない。読めないのだ。まず、読む力をつけてあげなくてはいけないのだ。いくら絶対評価でも、プロの教師は気安く「1」をつけてはいけない。
*この文章は数年前のものだが、今でも当てはまることはたくさんの学校であると思う。教師はいい役者にならなきゃいけないが、生徒のほうにも「役者」はいるのである。教師の前では「いい子」を演じきる名優に騙されてはいけない。学級委員や生徒会長が裏ではいじめっ子だった・・・なんて話はざらにある。大人の世界でもその類の名優は多い。しかし、そういう役者はどんどん貧相な顔になっていく。学校という世界に政治の世界にもそういう顔はゴロゴロしている今の日本である。自分の顔だけには責任を持ちたいものだ。いい顔の先生に育てられた子ども達にその人相は伝染していく・・・。