4月29日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第118弾! 2009.4.29(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第118弾! 2009.4.29(水)   たかやん

6歳の誕生日
6年前の今日、朝の8時に空は生まれた。6年前も今日と同じように雲ひとつない爽やかな朝だった。夕方には、あの井上康生が全日本選手権で優勝し、僕らを祝福してくれた。その日からずっと晴れの日が続いてきたわけじゃあない。苦しいことも、悲しいことも沢山あった。それでも、この6年間は僕の人生の中で一番穏やかな日々だった気がする。

豚インフルエンザ
メキシコ発のインフルエンザへの対応が鈍い。仮に強いウィルスではなかったとしても、万が一のことを考えてトレーニングしておかないと、取り返しがつかなくなる。日本でもあのスペイン風邪では48万人が死んだと言われているのだ。

体罰
小学生の男の子が数人で女の子を蹴り、それを注意した先生を2回蹴飛ばして逃げた。追いかけて捕まえた先生が胸ぐらを掴んで壁に押し当て「もうすんなよ」と怒った。この事件が最高裁で「体罰にあたらない」と判断されたようだ。
小学校2年生で体の大きな男の先生を蹴飛ばすのだから、腕白小僧である。ADHDの可能性もある。それでも女の子を蹴飛ばしたのだから、親は謝まることを教えなくてはいけない。注意した先生も蹴飛ばしたのだから、そのことも親は謝まることを教えなくてはいけない。そして先生のほうも、小学校2年生の男の子のしたことなのだから、ちょっと行き過ぎでした・・・そう謝ることだ。みんなが悪いのはこちらでした。そうすることで裁判などにはならないのだ。心的外傷後ストレス障害(PTSD)は恐いが、昔の子供たちは多かれ少なかれ、父親に対してあったのではないかと思う。僕の兄貴などは親父に窓から外へ放り出されたり、金槌で眼鏡を割られたりしていた・・・その親父もじいちゃんに雪が積もる屋根に放り投げられたというのだから、多分心的外傷後ストレス障害(PTSD)になっていただろう。「地震、雷、家事、親父」・・・その全てが心的外傷後ストレス障害(PTSD)の源になり得る。小さな子たちのストレスを取り去るためにも、「ごめんなさい」という言葉が大事なのだと思う。

挨拶
我が塾にも色々な子どもが来る。「挨拶」が自然にできる子もいれば、全くできない子もいる。靴を揃えて脱げる子もいれば、揃えることが習慣になっていない子もいる。僕はどちらかというと、小さい頃からシャイなところがあって・・・元気よく挨拶はできない子どもだった気がする。そんな僕の遺伝子を持ち、そんな僕に育てられた子達は、もしかしたら外で元気よく挨拶できてないのではないか・・・そういう心配もしてしまう。人としての最低限のマナーは家庭の責任だと思うのである。

教師を目指す人へのメッセージ

第二十七歩「アダルトチルドレン」
機能不全な家庭に育ち、自分や自分の周りの人たちに問題を引き起こし、生きづらさを抱えている人のことをアダルトチルドレン(AC)という。機能不全の家庭というのは要するにこどもを傷つける家族のことで、例えば虐待の起こる家族、仲が悪く怒りの爆発する家族、愛の無い冷たい家族、秘密があまりにも多い家族、親とこの関係が逆転している家族、子どもを過度に甘やかし、溺愛する家族。依存症にとらわれている家族のことをいうんだそうだ。
実際、僕の周りにはアダルトチルドレンがたくさんいるし、アダルトチルドレンになりそうな子供たちもたくさんいる。それだけ機能不全な家庭がたくさんあるということで、多分その率は年々増え続けるのではないかと思う。
「自分が父親の代わりになれれば・・・」そう思ったことは何度もあるし、実際そのつもりで子供たちと接したこともある。でもどんなにそう思っても、父親にはなれないし、幼児期の記憶まで消すことはできないというのが結論だ。
僕らにできることは自分の子どもをアダルトチルドレンにしないこと。それしかないと思う。「教育は愛」だし、子ども達は「教師」との出会いで素晴らしい奇跡を起すものだが、それでも家庭の力はそれ以上に影響を及ぼすということを肝に銘じておいたほうがいい。
だからといって、何でも家庭のせいにするのはいけない。家庭で苦しいからこそ、学校では心が開放される子達もたくさんいるのだから。
* 機能不全な家庭・・・嘗ての我が家こそ、「機能不全」だったのではないか・・・最近、そう思うようになった。娘が中3の受験のときに、家族がバラバラになったのだから「機能」などしていなかったに違いないのだ。上の娘も、そして息子もなかなかのDNAを持ちながら、「機能不全」の家庭に育ってしまったために、もがき苦しんできたのではないか・・・そんなことを考えてしまう。
昔、娘に手紙を貰った。「父やんは世界一の先生かも知れないけれど、父親としては最低です」手紙にはそう書いてあった。娘がそう思うのだから、僕はきっと最低の父親だったのだろう。そして最低の夫だったとも思う。どんな理由があったとしても、子ども達に申し訳ない気持ちで一杯になるのである。