4月5日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第94弾! 2009.4.5(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第94弾! 2009.4.5(日)   たかやん


朝の黒目川へ母さんと散歩へ行った。桜が余りにも綺麗なので、土手から写真を撮った。今日は川掃除の日なので、ゴミの目星だけつけておいて・・・9時から拾うことにした。

ちびっ子
9時に集合したのは五中の卒業生の4人と僕。暫くして石神のMさんが合流。全部で6人になった。僕が神宝大橋方面から戻ってくるときだった。「たかやんだ!」という声がした。八石小学校の子達が3人、片山幼稚園の子たちが2人。そのお母さんたちが3人。全部で8人の助っ人が登場した瞬間だった。


そしてもう二人。笑顔で登場したのが、娘の雪とその長男のあっくん。「手伝いにきたよ」と嬉しいことを言う。

17人
最後に五中の卒業生のM君も来てくれ、結局全部で17人での川掃除になった。今日も川の中に直弘と祐晴が入り、自転車やら消火器やら色々なものを引き上げた。そして直弘が作った灰皿を今日も2箇所に設置したのだった。

落合川
我が家で飲んで、食べて、語っていると「たかやん、落合川に散歩へ行こうよ」と直弘。酔っ払い4人と自転車の空の5人で落合川へ向かった。そして落合川の綺麗さに僕はびっくりしたのだ。どうやら本当に湧水だけの川らしい。水草の色が全然違うのである。黒目川の水草は茶色いのだが、落合川の水草は綺麗な緑色なのだ。そして川の匂いが違うのだ。

芝生
水辺で小さい子供たちが安心して遊べる空間があった。空も「入っていい?」と川の中へ・・・芝生には笑顔が溢れていた。芝生にはやっぱり力がある。そう思った。

南沢
僕らは南沢まで探検に行った。そして、そこの湧水は飲めるくらい綺麗だったのだ。落合川には下水が全く流れていないのだろう。生活用水が流れ込む場所が一つもなかったのには驚いた。そしてカワセミが僕らと一緒に移動しながら何度も落合川の中へ飛び込んでいったのだった。
第三歩 「初めての授業」
初めての授業の時のことは今でもはっきりと覚えている。自分が子供達にどういうふうに見られるのか、馬鹿にされはしないか、間違ったことを言いはしないか…・そんなことばかり考えていたから、顔が赤くなり、緊張の固まりという状態だった。
僕は元々人前で話す事が苦手だったから、授業のプレッシャーというのは相当のものだった。僕の赴任した学校は新設校で二つの中学校が合併してできた中学だった。そして僕は3年生の担任。埼玉県でたった一人の新卒の3年の担任だった。子供達は二つの学校が合わさっている訳だから、なんだかおかしなムードだし、僕は新米で何が何だか分からなくて、本当に漫画みたいなクラスだったような気がする。要するにクラスを仕切るのは僕ではなくて、子どもだったのである。
最初にクラスに入った時も「席に着いて!」と言っても、子供達は席に着かない。「こら!席に着けっていってんだろ!」と怒ってみても「嫌だね。」と一番のチビのIに言われる始末。先生の権威なんか全く無かった。それでも番長格のTが「座ろうぜ!」と一言いうと、みんな席に着いてくれた。そんな訳だからネクタイにスーツ姿の僕は子供達のいい標的だった。休み時間になるとネクタイを引っ張られ、首を絞められ、まったくいい遊び道具だった。口でも体力でも子供達に勝てず、本当に情けない担任だった。
二日目から僕はネクタイを外し、ジーパンにセーターで登校した。スリッパを止めて、運動靴にした。子供達と格闘して勝つにはまず格好が大切だったのだ。そんな状態で最初の授業が始まったのである。3年生を4クラスに2年生を1クラス持たされた僕は本当にアップアップの状態だった。45分の授業にわざと5分遅れて行き、5分早目に終わらせて、35分の授業にしてみたり、とにかく早く教室から逃げ出したいと思っていた。そして質問が恐かった。「なんで?」「どうしてそうなるんですか?」「この植物の名前は?」恥ずかしいことにその質問のほとんどに僕は答えられなかった。ただごまかす事だけはしなかった。『今、分からないから調べておくよ。』そうやって先輩の先生に聞いたり、本で調べてきたりしていた。要するに子供達に勉強させられていたのだ。
僕は東京の新宿で育ったせいか、植物には特に弱かった。信州の山の中で育った、大学時代の友達に随分馬鹿にされたものだ。「おめえ、それでよく理科の教師になろうとするだな。」だから野外実習の時はもう必死で子供達と一緒に図鑑とにらめっこして、野草の名前を探した。そうして実習場所の野草の名前だけには滅法強くなったのである。そしてそのことがちょっとした自信になっていった。まるで子供達が自信を持つのと同じように。
そう、「先生」とは名ばかりで実は「生徒」だったのだ。教えている積もりが、実は子供達に教わっていたのだ。このことは実は21年間ずっと僕の心の中で続いていた。教師という仕事は実は子供達から教わる事の方が多いのではないか、ということである。そしてそのことは今でも正しいと思っている。僕らは子供達からたくさんのことを学ぶのだ。そして成長するのだ。どんなに授業が上手に出来ても、そのことが分からないとプロの教師にはなれないと僕は思う。
(写真はカット)
僕の2回目の卒業生の二人。五中の3年1組の子達が我が家に大学合格の報告に来た時の写真。左は大。右は秀行。この子達は優秀だった。僕はこの子達と2年間同じクラスで生活した。いわゆる持ち上がりのクラスだったのだ。特に3年生になってからは1年間、毎朝「朝勉」をやった。他のクラスよりも1時間早く教室に来て、みんなで勉強するのだ。ところが大は1年間一度も僕に質問しなかった。理科のテストをやらせれば113点も取った。100点満点で113点というのは、僕の模範解答よりも大の解答の方がよかったからだ。秀行は3年生の最初の中間は405点くらいだったのだが、僕が数学の問題集をあげると、それを3回繰り返しあっという間に450点を越えるようになった。僕は毎回子供たちと一緒にテストを受けていたが、定期テストでは遂に大に勝つことはできなかった。大は東大へ進学し、秀行は京大へ進学した。僕はこの子達に一緒に学ぶことの大切さを学んだのだった。

* 最初の一年は今から考えると、メチャクチャだった。浦和高校しか知らない担任が進路指導をしたのだから・・・。僕には子供たちと一緒に勉強することしか能はなく・・・逆にそのお陰で、僕のスタイルが確定していった。そう何も一緒にやるというスタイルである。それにしても酷い先輩達だった。新任に3年の担任をやらせ、3年と2年の授業をやらせたのだから・・・・その先輩達のお陰で、怖いものが無くなったのだが・・・。
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