4月6日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第95弾! 2009.4.6(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第95弾! 2009.4.6(月)   たかやん

6時15分
基礎英語2を聴く。予習してあってので、スラスラ頭に入る。朝の15分でも練習して、イメージを掴む。

9時05分
「英語5分間トレーニング」を聴く。9時03分にセットしておいたタイマーが鳴り、パッと集中して、パッと終わる。そして頭の中の英語の語彙が増えていく感覚が楽しい。

隙間時間
ピアノを弾くようにしている。段々ピアノそのものが楽しくなってきた。楽しいものは触りたくなる・・・。他の曲にも挑戦したくなってきた。

始業式
東京の中学校は今日が始業式。どうやら授業数が埼玉よりも多いらしい。運動部の大会は土日にやっているし、埼玉が遅れているのは確かである。

5年で?
新任は同じ学校に5年しかいられない。埼玉はそんなシステムになっているらしい。僕は当たり前のように最初の学校、新座五中に十年いた。次の六中にも十年いた。長くいるといいことも沢山ある。卒業生との関係が実にいいのだ。知らない卒業生がいないのだから、中学生も安心だし、卒業生も安心。地域の人たちとの交流もあり、みんなが仲間になっていく・・・。学校を愛して、愛して・・・「自分の学校」だと思うようになり、「自分の子ども」を入れたくなる。僕の娘は五中に、息子は六中に3年間通った。5年間ではそうはいかない。杓子定規に異動では、育つ先生も育たないし、その学校の「伝統」だとか「特色」も育ちにくい。「机上だけでものを考える曲学阿世」のやりそうなことだ。昔の石神井高校には何十年もいる先生が沢山いた。その先生達がいなくなって・・・石神井のレベルは落ちるところまで落ちた。学校はやはり先生なのである。そういうことを知らない人間が宇トップにいるんだろうなあ・・・。

半袖・短パン
昼過ぎからテニスをした。1時間ちょっとやっただけなのだが、余りの暑さに半袖・短パン
になった。空を迎えに行って、そのままイナゲヤへ。店の中で半袖・短パンでいるのは僕一人。コートを着ている人もいたので、ちょっぴり恥ずかしかった。

第四歩 「目」
授業は子供達の目を見ながらしなくてはいけない。先輩の先生の中には教室の天井を見ながらする人がいたが、そういう授業はいただけない。子どもが聞いていても寝ていても同じでは、プロが泣く。話をしていて、子供達が下を向きはじめたら自分の話しがつまらないと思わなくてはいけない。それを「ちゃんと前を向け!顔を上げろ!」というのは素人のいうことだ。生徒は当たり前だが生き物だ。調子のいい時もあれば悪い時もある。子供達の目、表情を見ないで授業をする教師は生徒の体の不調や「いじめ」を見逃してしまう。よく学校が「いじめは無かったと認識しています。」などと訳の分からないことをいうが、いじめがなかったのではなく見落としていたのだ。まず授業で生徒が理解しているのかどうかを、表情で判断する習慣をつけよう。首をかしげたり、つまらなそうな表情をしたら、それは授業の仕方に問題があるのだ。授業には「年間指導計画」があり、その通りに進めないとテストができないとかの問題が生じるが、生徒が理解できない授業を1年間も続けたらこれはもう「犯罪」に近い。生徒を理解させるには何でもしなくてはいけない。歌を作る。語呂合わせを考える。踊る。繰り返し、繰り返し質問する。クイズ形式で質問する…・やれることは何でもやる。子どもが体育の授業で疲れていると感じた時は「昼寝」を10分させたっていい。要はその時間に理解できるようにしてしまえばいいのだ。集中しない50分より、集中した40分の方が効果があるのは当たり前だ。
ものを覚えるにはリラックスした方が効率がいいのは知られているが、僕は授業の最初によく歌を歌った。教室にギターを置いておくのだ。「理科係」の生徒がそのギターを毎時間運んでくれる。子供達はそういうことが好きなのだ。歌を歌って、脳波をアルファー派にしてから授業に入るという作戦だ。理科の教師が歌を歌ってなんなんだ?などという批判には耳を貸さないことだ。理科嫌いを無くし、授業に集中させて、効果があがるのならそれでいいのだ。そして休み時間はなるべくどこかの教室にいることだ。子供達の話を聞けるから職員室に帰るよりもはるかに楽しい。僕の場合は「理科準備室」という部屋があったので、そこに子供達が毎時間遊びにきた。そこでももっぱら話を聞くのだ。聞き役に徹していると、子供達はなんでも話すようになる。「いじめ」や「喧嘩」、「事件」「授業」の情報など訳なく入ってくる。そして何より子供達の本音が聞けるのだ。「U先生の授業は本当につまらない。勝手にどんどん進んでいって、質問すると怒る。」「分からないっていうと、授業を聞いてないからだ!って怒るからもう質問したくなくなる。分からないから聞いているのに。」子供達の本音はそのまま自分の授業の反省になる。
そういう意味では毎回の授業の後に「感想」を書いてもらうのもいい。発言は出来なくても、「感想」を書く事なら出来る子がいるのだ。わかっていると思った子が理解できていなくて、寝ているのかと思った子がしっかり聞いていたりする。自分の目の不確かさを確認するのには丁度いい。50分の授業も5分前に感想を書いてもらえば45分。最初の5分で子どもリラックスさせて、授業は40分。子供達集中力の限界はそんなものだ。50分間、ダラダラと授業をするのだけはやめよう。
(写真はカット)
この写真は21年目の最後のクラス。二中の3年2組。子ども達の姿勢や表情から緊張感が伝わってきた人は教師の素質ありだ。子ども達の目を輝かせるには、まず緊張感を和らげてあげることが必要になる。担任といると「安心」する。そういう先生になって欲しい。
* 学校の先生が羨ましい。子どもたちと朝から晩まで一緒にいられるのだ。塾でも子どもに会えるけど、余分な話はすこーししかできない。歌だって、すこーししか歌えない。僕が大好きな道徳の授業も、ほんのすこーししかできない。みんなで燃えるトイレ掃除もないし、喧嘩さえない。家庭訪問もない。(時々勝手にいくけど・・・)給食もない。体育の授業に飛び入り参加したり、音楽の授業で一緒に歌ったりもできない。勿論、それでも楽しいのだけれど・・・学校の先生って、本当に幸せな職業だと思うのだ。子どもたちのキラキラした瞳にはエネルギーがある。僕は21年間、そのエネルギーで生きてきた。今でもそのエネルギーは僕の心に蓄積されている。永久になくならない、しかも温暖化ガスもでない、実にクリーンなエネルギーである。
takayanchan@jcom.home.ne.jp                           たかやん