4月7日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第96弾! 2009.4.7(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第96弾! 2009.4.7(火)   たかやん

タイマー
携帯のタイマーが鳴る。お、基礎英語2の3分前だ・・・何をやっていても、タイマーのお陰でラジオを聞き逃すことが無くなった。いいことである。録音しておくと、いつでも聞けるからと習慣にならない。その点、生のラジオでの勉強は決まった時間にするしかないので、習慣になりやすい。学校のチャイムもそう考えるとまんざら悪いものでもないね。

コート
議会のない火曜日の午前中はテニスのコーチになる。西堀コートで待っている“おばさん”達にボランティアでテニスを教えるのだ。今日は桜が満開で、春休みということもあり、子どもたちが公園に溢れ、元気に走り回っていた。ところがコートが酷いのだ。もうあれはテニスコートじゃあない。まるで畑である。「何とかしてくださいよ」とよく言われるのだが、「金がないんですよ」と言うしかない。「変な道路造ってるからでしょ。」「朝霞も和光にもいいオムニがあるのに、何で新座だけないの?」「まあ、あの道路がなければねえ・・54億だからねえ・・・オムニなんて朝飯前だったよねえ。」と僕。コートの土を入れ替えない限り、あのコートはどうコート整備をしても無理なのだ。高校で3年、大学で3年、中学校で20年コート整備をしてきた人間が言うのだから間違いない。あれはお金を取れるコートではない。中学校のコートの方がイレギュラーが少ない。そんなコートで税金を払っている市民から使用料を取るのだからおかしい。詐欺と言われてもしょうがないのである・・・須田市長もゴルフばかりやっていないで、あのコートでテニスをしてみたら分かる。立教大学のコートを知っているが、実にいいクレーコートである。立教のキャプテンだった須田市長には本物と偽者の違いが分かるはずである。

東久留米・志木線
54億の道路を横切って西堀コートへ向かう。明らかに前よりも不便である。東久留米側が完成したとしても、駅まで行くのにかかる時間は・・・多分1分も違わないだろう。そして水道道路へ行くのにかかる時間も、多分2〜3分の差にしかならないのだと思う。石神の人で54億の道路を喜んでいる人に僕は会ったことがない。あの道路のどこに50億を超える価値があるというのだ。仮に1億でできたとしても、迷惑なだけの道路である。

教師を目指す人へのメッセージ 第五歩 「指導案」
僕が大嫌いなものの一つに指導案がある。教育実習の為の指導案。研究授業の為の指導案。
この指導案にうるさい人がいる。「この指導案はなんだ!」「この指導案の書き方はなんだ!」と授業の前にケチをつける人達である。「授業というのは指導案がよければ誰でもできるものだ。いやそうでなければならない。」とまで言う人もいる。糞食らえである。
指導案の形式にうるさい人ほど子供達の表情には関心がないものだ。どんなに立派な指導案を作っても、子供達はそのとおりには反応しない。当たり前だ、生き物なんだから…・。事前に「打ち合わせ」をしていれば話は別だが。そういう作られた授業ほどつまらないものはない。子供達がどれだけ分かったかではなくて、教育委員会の「先生」達にどう思われるかが大事な授業。そんな授業は糞食らえだ。それは誉められる指導案が書けて、いい授業ができるに超した事はない。僕が言いたいのは、そういうものに時間をかけて欲しくないということだ。授業のポイントは一つでいい。それをクリアーできたかどうかを「生徒の感想」で判断して、次の授業でその反省を生かす。そのことの方が大切なのだ。僕の先輩には「私は毎回指導案を書いています。」という凄い人がいたが、彼女の授業は実につまらなかった。授業の達人になるのはいいことだが、指導案の達人になってはいけない。
導入…展開…まとめ。そういうパターンもあるだろうが、50分の時間を自分とそこにいる子供達で自由に使っていいのだ。子ども達が「分かった!」「できた!」と笑顔でいうことが大事なのだ。それさえ押さえていれば、あとは授業は生き物。脱線するのもいいではないか。これから「先生」になろうという人達にこんなことをいっては何だが、どんなに一生懸命授業をやっても、子供達はその内容などあまり覚えていないものなのだ。覚えているのは、楽しかった!とかやる気になった!とか授業中によく話が脱線したとか…何やったか覚えてないけど、理科の授業は好きだった!とかその程度なのだ。子供達が忘れないのは「先生」がどういう目で自分達を見てくれていたかということだ。どういう風に自分に声をかけてくれたかだ。どういう表情で自分達と接してくれていたかなのだ。それは自分自身で振り返ってみれば分かるだろう。どんなに好きな先生でも授業そのものを記憶している人はまずいないだろう。まあいくつかの授業は残っているにしてもだ。僕が忘れられない先生に兵藤鎮馬先生がいる。中学時代の数学の先生で教頭だった。そう昔は教頭も、時には校長も授業をしてくれたのだ。僕らは中3で初めてこの先生に数学を習った。先生は最初の授業でこういわれた。「僕の名前はひょうどうしずま。みんなヒョウチンと呼びます。だからみんなもそう呼んでください。」(ほんまかいな…)僕らは廊下で先生に会うと「ヒョウチン!」と呼んだ。すると先生は「はい、何ですか?」とこたえる。授業中でも「ヒョウチン!」すると「はい、何ですか?」そして、授業はべらぼうに分かりやすかった。僕らはあっという間にヒョウチン中毒になっていった。ヒョウチンは放課後も僕らの教室で数学を教えてくれた。時には高校の数学まで教えてくれたりした。僕のタカヤンというあだ名は実はこのヒョウチンがもとなのだ。「たかやん!」「あいよ!」僕はそう呼ばれる度に懐かしいヒョウチンが頭をよぎるんだ。ほんのちょっとだけどね。
* 研究授業をたくさんやっている学校がいい学校ではない。子どもたちが楽しく通っている学校がいい学校なのだ。「新座の学校で放課後、学校に来るな!と言っている学校があるのを知ってますか?」と言われた。「子供たちはいったいどこで遊んだらいいんですか?」「学校が一番安全な場所でしょう?」「先生たちが学校にいるのに、校庭に入ってはいけない」と子どもたちはいわれているのだそうだ。確かに職員会議や研修には邪魔になるかも知れないけれど・・・・学校は子どもたちのもの。地域のものという意識の低さが、そういう学校を生み出していくのだ。学校長が学校を私物化してはいけない。誰の税金で建てた学校だかを考えてみれば直ぐ分かる。学校はみんなのもの。明治時代からそうだったのだ。
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