4月9日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第98弾! 2009.4.9(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第98弾! 2009.4.9(木)   たかやん

富士見環境センター
マットレス、テレビ台、ベットの枠、アンプ、鍋・・・粗大ゴミを車に積んで、富士見環境センターへ行ってきた。カルディナに一杯のゴミだったが、かかったお金は1000円未満。市にお願いするよりも遥かに安い。これでスッキリ!朝から気持ちがよかった。

テニス
市営のコートが空いていたので、家族三人でテニスをした。天気はいいし、風はなくて暖かいし・・・最高のテニス日和だったのだが、4面のコートでテニスをしていたのは僕達だけ。確かにコートの状態は悪いんだけど・・・気持ちのいい1時間だった。

車掃除
天気がよかったので、車の掃除をした。車の外も中も綺麗になって気もちがいい。部屋の片付けもしなくっちゃ・・・。

基礎英語1
空が基礎英語1を始めた。「パパの塾でお勉強したい」と空。「ふーん。じゃあ基礎英語でもやってみるか。」「うん」という訳で、パソコンで基礎英語1の最初から勉強を始めた。小さい頃は英語の環境にどっぷりと浸かっていた空だが、最近は専ら母国語の習得に気合が入っていた訳で・・・それでも英語の耳はちゃんとしていて、少し驚いたのだった。

先生になりたい人へのメッセージ

第七歩 「共通行動?」
自分の事を「先生はね」と一人称で呼んではいけない。中には「校長先生はこう思います!」とか恥ずかし気もなくいう校長がいるが、あれはかなり恥ずかしい。「先生は…」と自分で言う人はそう呼んで欲しいのだ。「先生!」と呼んで欲しいからそういうのだ。僕は職員室でも「タカヤン!」と呼ばれていた。すると怒る人がいるのだ。職員室でそういう呼び方をするな!と怒る訳である。大きなお世話である。教師はあだ名で呼ばれて一人前なのだ。「職員室では、生徒は後ろのドアから入る事。」と決めた学校があった。前には校長教頭、教務主任がいるというのが理由である。
生徒と共通の言葉を持ち続けた校長は「いつでも校長室に遊びにきてね!」と子供達に伝える。この差は大きい。自分が偉いと思うような管理職は学校には必要無いのだ。学校に必要なのは子供達の言葉を話せる先生である。
今の学校には「取り締まり系」の先生が多すぎる。校則を取り締まることなど素人でも出来るということが分かっていないのだ。「共通理解」「共通行動」それが大事だという学校があった。みんなで同じことをする事が大切なのだ、という訳である。一見もっともだが、実はそのことほど危険な事はない。自分が生徒であるとしよう。朝から友達の事で悩んでいる。そういう時に会う先生みんなから「お前、名札がついてないな!」と言われたらどう思うのだ。嫌いな先生ならまだいい。好きな先生からも「お前、名札がついてないな!」と言われたら、子どもは学校に来たくなくなるだろう。でも、自分の好きな先生が「おはよう!どうした?元気がないぞ!何かあったか?」と笑顔で聞いてくれたら、子供達はどんなに嬉しいだろう。プロは子供達の目を見て言葉を選ばなくてはいけないのだ。
今、小学校でも中学校でも「朝の挨拶運動」なるものをしている学校がある。校長やPTAのお母さん達が朝、校門に立って「おはようございます!」というあの運動である。選挙運動じゃああるまいし、いかにも不自然なことなのに、それが子ども達を変えると信じている人達がいる。自分が生徒の気持ちになれない人達である。要するにプロではない訳だ。挙げ句の果てに服装のチェックをする人までいるからどうしようもない。「朝の挨拶運動」は自己満足以外のなにものでもないのだ。「校則」では人間は教育できない。中学校の校則などは世の中にでれば全く通用しないものなのだから…・。子供達に教えなくてはいけないのは「きまり」ではなくて「マナー」である。これは日本中どこへ行っても通用する。(世界は広いから通用するとは限らないが…・。)「校則」に目くじら立てる先生が、「いじめ」を見逃すのだ。子供達の「目」を見ていないからそういうことになるのだ。プロはいつでも子供達の目をみていなくてはいけない。「共通行動」というなら、そういうことに「共通行動」を取って欲しい。
プロの教師は自分のことを「先生」と呼んではいけない。「私」や「僕」や「俺」という日本語があるではないか。「俺」が悪い言葉などと言ってはいけない。地方へ行ば「おら」は男女共通の立派な一人称である。子供たちから「あだ名」で呼ばれるようになろう。そしてそのあだ名を好きになろう。好きになるようなあだ名を付けてもらおう。
* 「共通理解」「共通行動」・・・ああ馬鹿らしい。まるで北朝鮮じごっこである。教師がこんなことを言っているようじゃあ、子どもたちは自立からどんどん遠ざかるだけだ。素人でもできることをみんなでやる・・・学校のレベルはどんどん落ちていく。それが分からないといけない。
* 子どもたちには本気でぶつかっていこう。怒るときは本気で怒ろう!そういう「共通理解」なら分かるが・・・それが校則の取り締まり用語では話にならないのだ。授業を大事にしろ!みんなの学ぶ権利は誰も侵すことができないんだ!土足で室内に入ってはいけない。物は大事に、友達はもっと大事に。そういう話は子どもたちにも通じるものだ。髪型とかスカートの丈とか、靴下の色でとやかく言われても、反発するだけである。本物の生徒指導は生徒の力を引き出すこと。生徒の人格を潰すことなどではない。何事も最初が肝心なのである。
takayanchan@jcom.home.ne.jp                                たかやん