5月19日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第138弾! 2009.5.19(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第138弾! 2009.5.19(火)   たかやん

まおり
今朝も舞ちゃんの家の前でまおりと会った。「行ってきまーす!」と、まおり。「行ってらっしゃーい!」と僕。僕はニヤニヤしながらエレベーターに乗ったのだった。


いつものように舞とお喋りしながら車を運転していると・・「あれ?Hだ!」と五中最初の卒業生に気づいた。珍しいなあ・・朝から会えるなんて・・・と、その時は何にも考えなかった。

先生!たすけて!
Hから電話があったのはそれからまもなくだった。「先生!助けて!」と彼は言った。アルコール依存症からくる、危険な状態にどうやらなっているらしかった。「今から家に来れませんか?」「いや、今日は今から行かなくちゃいけないところがあるし、午後も会議があるんだよ。それが終わってからなら行けるけど・・・」「うん、忙しいのにごめんなさい。でも、話ができてよかった。ありがとう・・」「おう」

電話
彼から再び電話があったのはお昼過ぎだった。「もう駄目だ先生・・・助けて・・・2時に堀の内病院に予約しているんだけど、行けそうもない・・・先生・・・助けて・・・」
僕は彼を堀の内病院に連れて行き、議会事務局に電話をした。「すみません。代表者会議に行けなくなりました・・・」結局、僕は彼の奥さんが迎えにくるまで病院にいた。アルコール依存症はかなり危険だということを聞いていたからだ。家に帰ると、もう塾の時間になっていた。

たかやん!たすけて
塾から帰ると、六中の卒業生のDが「たかやん!たすけて」とやってきた。確かに大変な状況で、テレビのドラマのような展開で・・・・僕らは0時過ぎまで語りに語ったのだった。ちょっと疲れた一日だったけど、久しぶりに“学校モード”になった。昔はこれが毎日だったのだ。「坂本金八の100倍」は忙しい毎日だった。でも、誰かの役に立つことは幸せなことである。ご飯が喉を通らなかった子が、お腹一杯食べて帰っていったのだった。

さようなら
敞一郎先生が今朝亡くなった。僕を面接して採用してくれた人。それが中村敞一郎だった。新任の僕を3年生の担任にしたのも敞一郎。修学旅行でしこたま酒を飲まし、僕の布団を敷いて寝かせてくれたのも敞一郎。たったの一年で五中を去り、教育長になってしまったのも敞一郎。僕のことをいつも心配し、会うたびに説教をしてくれるのも敞一郎先生だった。神さんが僕のお袋なら、敞一郎は僕の親父だった。これでまた、僕に説教をしてくれる人がいなくなった。本気で僕のことを心配してくれる人がいなくなった。
中村敞一郎先生。ありがとうございました。僕は先生のお陰で、今こうして胸を張って生きています。たったの一年間でしたが、あの一年間が僕の教師としての土台になったことは確かなことです。もう一度、校長の説教が聞きたかったです。校長!もう一度会いたかったです。中村校長!本当にありがとうございました。さようなら・・敞一郎父さん。