5月20日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第139弾! 2009.5.20(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第139弾! 2009.5.20(水)   たかやん

マスク
朝10時前・・・ウェルパーク前に並んでいる人たちがいた。(何かの特売日なのかなあ・・・)そのときは、そう思っていたのだが・・・後で聞くと、「マスクですよ」ということだった。そう、マスクが品薄なのだ。どこのドラッグストアーでもマスクが無いらしい・・・。この騒ぎの前に買っておいてよかった!


今日から中学生達の中間テストが始まった。そこで塾も1時半からになり、みんな我が家に集合した。驚いたのは彼らの食欲。給食を食べた後だというのに・・・我が家のお菓子は空っぽになりそうだったのだ。男の子も女の子も気持ちのいいくらいの食欲だった。

お通夜
夕方から敞一郎先生のお通夜があった。同期のみっちゃんや誠、五十嵐さん、そして1年先輩の昇君と久しぶりに会った。そして仲間だった栗ちゃん、先輩の川島勝治、川崎さん、カサジ、原先生、山ちゃん、望っちゃん、鈴木明先生、東海先生、松江さん、後輩のジャイアン・・・懐かしい人たちが次々と登場したのだった。僕は敞一郎先生の遺影を見ていたら、涙が出てきて・・・本当に悲しくて、悲しくて・・・


肩を叩かれた。嵒先生だった。甲神嵒。中村敞一郎が父親で、神宮寺久子が母親なら、僕の兄貴は甲神嵒だ。僕を一番理解してくれたのは嵒兄貴だったと思う。嵒は親父に会いに茨城から飛んできたのだ。

山口常義
中村敞一郎は勿論、鈴木明も宮越東海も僕は好きだったが、僕が一番好きだったのは山口常義校長だった。こんなに暖かい人を僕は見たことがない。その山口先生に久しぶりに会えたのだ。山口先生は僕を見るなり、「たかむら!!!」と言って、僕を思い切り抱きしめてくれた。「お前に会えて本当に嬉しい!」と抱きしめてくれた。僕はもうそれだけで泣いてしまった。僕は五中時代も六中時代も校長に愛されていたのだ。82歳になった山口常義は今でも公民館などで、地域の人たちに英語を教えているのだそうだ。山口先生はまるで60歳くらいにしか見えなかった。僕は今、五中時代の山口先生の歳になっている。とても先生には追いつけないだろうが、山口先生のように人を愛したいと思う。本物の教育者というのは山口常義のことを言うのだと思う。そんな先生に愛させて、僕は幸せである。

嵒2
帰りは嵒に車で送ってもらった。32年前は嵒のべレットに乗って、高校訪問に行ったっけ・・。いつも一緒だった記憶がある。僕は進路のいろはを嵒に教えてもらったのだ。嵒は空を抱っこして、「大きくなったなあ・・」とまるで孫でも抱いているような笑顔で空を見てくれた。僕は嵒から貰った愛情も誰かに伝えていかなくてはいけない。そうですよね、敞一郎先生。