5月3日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第122弾! 2009.5.3(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第122弾! 2009.5.3(日)   たかやん

憲法記念日
憲法改正の動きがある。動きがあるということは、今の憲法では都合が悪いことがあるということだ。それは、今の憲法に力があるという証拠でもある。いつの間にか自衛隊がソマリア沖の海賊退治に出かけようとしている。国会議員たちは、もう少し「憲法前文」を読んだほうがいい。

テニス
今日は三人でテニスをした。空が「空もやりたい!」とラケットを久しぶりに振った。亮は2歳くらいから「テニスをしたい」と言っていたが、空はなかなかやろうとはしなかった。ところが今日は違った。不思議なもので、そのフォームは昔の亮とそっくり。流石に兄弟だなと思った。


今日も花と鉢を買いに行った。狭い庭にまた花が増えた。土いじりは面白い。トマトの苗が大きくなり、苺がいくつもなってきた。その変化がたまらない。まるで学校の子供たちのように毎日変化していくのだ。

サッカー
公園でサッカーもやった。2対1のサッカーはかなりの運動量で・・・。僕はヘトヘトになった。空はママが蹴ったボールを顔面でブロックしたが・・・涙を堪えていた。それから鉄棒を練習し、滑り台で遊び、家に帰ったのだった。

教育は愛だ!その1
僕が新宿の西戸山幼稚園で初めて会った先生が高橋先生。早生まれで、何をするにも遅かった僕は、よく先生の膝の上で泣いていた。だから、遠足の写真も先生に抱かれて写っている。その記憶は、50年経った今でも僕の心に優しく残っている。
「人は一日に12回抱きしめられるべきだ!」という言葉がすっと胸に落ちるのは、高橋先生に抱かれたことを覚えているからかも知れない。
西戸山小学校1年生から3年生まで、担任は松本美佐子先生。御茶ノ水大学出身の先生は、綺麗で優しくて、クラスのみんなが大好きな先生だった。当時の僕は、遊び専門で成績はオール3.忘れ物ばかりしている子だった。そんな僕にも先生は優しかった。先生は結婚して向後美佐子先生になった。向後先生が出産のとき、臨時に来られたのが片岡先生。広島出身の先生は、僕らが何かやると「原爆デコピン」をした。僕らは先生が大好きで、わざとデコピンをしてもらった記憶がある。片岡先生は中学生になってから随分探したが、見つからなかった。向後先生の家には小学校を卒業してからも何度か遊びに行った。先生の笑顔はいつも同じ、優しい笑顔だった。
「ケツ竹刀」の原型は「原爆デコピン」にあったのかも知れない。
4年生になって初めて男の先生になった。田口先生は僕らとよく遊んでくれる先生だった。放課後校庭でドッチボールをやったり、キックベースをやったりしてくれた。先生は腎臓が悪かった。僕らと遊びすぎて、疲れてしまったのかも知れない。無理をして、無理をして、そして国立病院に入院し、亡くなった。たった1年間のお付き合いだったが、子ども達と遊ぶことの大切さを僕は田口先生から学んだ気がする。
5年、6年は桑名喜久枝先生。勉強熱心な先生で、「週末テスト」なるものを考案し、僕らは毎週末テストをやらされた。あとで考えると、国立や私立受験の練習だったのだが、僕達公立進学組にも勉強のやり方を伝えてくれたのだと思う。給食の時間に桑名先生はいつも本を読んでくれた。泣けるシーンになると、先生は本当に泣いてしまう・・・・そんな先生と別れるのが辛くて、女の子達は2月の終わり頃からよく泣いていた。それ程子ども達から慕われた先生だった。男っぽくて、気合が入っていて、そして泣き虫。僕は小学校までこんな素敵な先生達に出会ったのだ。
桑名先生から学んだことは、一緒に勉強する楽しさだろう。クラスのトップの子も、ペケの子も先生と一緒になって勉強した。6年3組だけが別世界だった。