5月5日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第124弾! 2009.5.5(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第124弾! 2009.5.5(火)   たかやん

こどもの日
今日は親友の家族とテニスをした。子どもたちは公園で遊びまわり、大人達はテニスをしたり、子供たちと遊んだりした。これでコートが良ければ言うことないのだが、新座市営のコートはどこに出しても恥ずかしいくらいイレギュラーをするのだ。とっても大会などができる状態ではない。造っておしまい・・・手入れは無し。それが新座市の現状である。

大笑い
今日は朝から晩まで笑っていた気がする。笑って、笑って美味しいものを食べて・・・ゴールデンウィークだわ・・・

教育は愛だ!その3
邑新太郎は恐い父親だった。兄貴達はものでひっ叩かれるは、窓から放り投げられるは・・・それを見て育った僕は、父さんに殴られるのだけは避けようと必死だった。運動会の時は下着の白いシャツにステテコ、下駄という格好で「ともやー!がんばれー!」と一緒に走るような父親だった。僕はそれが嫌で、嫌で・・・できたら父さんには学校に来て欲しくない、そう思っていた。5年生の時、夜中に胃痙攣でもがいていると、その父さんが僕を背負って、新大久保の高橋病院まで走ってくれた。父さんの背中の温かさ、逞しさを初めて意識した瞬間だった。田舎に行って、一人で上の駅に戻ってきた僕を父さんは、いつもの大声で探してくれた。「ともやー!どこだー!お父さんはここだー!ともやー!」僕はその声を聞いて、ホット安心して、涙が出てきた。その声は今でも耳に残っている。中学生になって、父さんの職場の労働省、中央労働委員会へ遊びに行った。そこには僕らの知らない父さんの姿があった。周りの人から好かれていて、そしてスーツ姿もピシっと決まっている父さんを見て、僕は格好いいなあ・・・と生まれて初めて思ったのだった。
父さんは労働法関係の本をかなり執筆していた。僕らが寝付いてから、夜中に原稿を書いていたと後で母さんに聞いた。その父さんが、僕の作文を誉めてくれたことがある。学校の先生には一度も誉められたことがないのに、文章のプロから誉められた・・・そう思った僕は、父さんの言葉を信じた。(僕は作文が書けるんだ!)あの時の、父さんの一言が僕に「学級通信」を毎日書かせ、そして今もこの文を書かせている。
邑ひさ子は優しい母親だった。泣き虫の僕を背負っては泣き止むまで一緒に居てくれた。「勉強しなさい!」とは一度も言ったことがなく、好きなだけ遊ばせてくれた。どんなに危険な遊びをしていても、僕を信じて怒ったことのない人だった。外国人の子供と遊んでもOK、弱いものいじめさえしなければ、誰と遊んでも大丈夫。そんな母親に育てられたことが、今の僕の原型を作ったことは間違いない。ただお寺の娘を母に持っていたので、生きものを殺すことはさせないように僕を育てていった。お陰で僕は蚊や蝿も殺さない子になってしまったが・・・。小学校に上がる前のお話。あるとき駅かどこかで僕がゴミを捨てた。それを見た母さんはマジで怒った。「みんな捨ててるよ」と僕。「あなたはみんなじゃないの。お母さんの子でしょ!ゴミは自分のポケットに入れなさい!」それ以来、僕はゴミを道路に捨てることができなくなった。ハイライトを毎日50本吸っているときでさえ、吸殻を捨てることはできなかった。みんな母さんのお陰である。
小さい頃、死ぬことが恐くなって、夜中に泣いていると、「大丈夫よ。お母さんが先に行って待っているから・・お父さんもおじいちゃんも、おばあちゃんもみんないるから大丈夫。」と不安な僕を安心させてくれた。高校生になって、石神井高校の朝練に行くために僕は4時半に起きたが、母さんは3時半に起きて、朝ご飯と弁当を作ってくれた。どんなに遅くに帰ってきても待っていてくれ、そしてどんなに早く起きても、見送ってくれたのが母さんだった。自分が貧乏で女学校へ行けなかったから、僕達三人は大学まで絶対に行かせる・・・。そういう空気が我が家にはあった。ただ、どこの学校に行きなさいということはなく、高校も大学も全て自分の意思で選ばせてもらった。そして教師という仕事を選んだ時も、一番喜んだのが母さんだった。母さんは83歳になる今でも、僕のことを気遣い、そして愛してくれている。僕が色々なことに挑戦できるのは、父さんと母さんの愛情がしっかりと僕の中に蓄積されているからだと思う。失敗しても、戻るところがある。失敗しても、自分の力でまたやり直せる。そういう自信を植え付けてくれたのが父と母の愛だった。
僕が両親から貰ったものは、両親に返すことはできないが、僕の子ども達に伝えていくことはできる。僕が先生達から貰ったものは、先生達に返すことはできないが、僕の生徒達には伝えていくことができる。僕には自分がもらった愛情を子ども達に伝える義務があるのだ。それは楽しくて、やりがいのある義務でもある。子ども達をただ「愛する」。「見守るように愛する」。それが教育なのかも知れないと、僕は思っている。