5月6日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第125弾! 2009.5.6(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第125弾! 2009.5.6(水)   たかやん

吉田よしのり
「新座駅に吉田よしのりが立ってたよ!」と茜が教えてくれた。「ゴールデンウィークなのに凄いね」と茜。「うん、彼は毎年立っているんだよ。俺にはできそうもないなあ・・・」と僕。「へえ、そうなんだあ」と茜。凄い男である。

部活動
ゴールデンウィークに六中の前を3回ほど通った。真昼間だというのに校庭もテニスコートもガラガラ・・・。テニスコートが可哀そうに見えてしょうがなかった。土日はどこのコートも満杯だ。市内6つの学校のコートを市民に開放したら、みんな喜ぶんじゃあないかね。

イトーヨーカ堂
雨の日は東久留米のイトーヨーカ堂へ行くことが多い。駐車場に屋根がついているからだ。今日は所沢のお母さんと一緒に買い物をした。駐車場からフィットネスクラブの屋上のテニスコートが見える。そこはフットサルのコートも兼ねている。6月議会では小野議員と一緒に質問するか・・・。

Five-minute English
NHKのラジオ講座が面白い。スピードが普通なので、トレーニングにいいのだ。朝と晩に2回聴くことにしている。

教師を目指す人へのメッセージ
第三十一歩「校長の仕事」
僕には校長の経験がない。校長どころか学年主任もないし、副担任もない。「担任」が命だったからである。33を過ぎた頃、当時の校長に「管理職試験を受けてみろ」と言われたのだが、断った。「担任ができて、授業がやれて、部活ができたらやってもいいですけど・・・その三つともできないんじゃあ、僕にはできません。」そう言って断った。それで後悔はしていないのだが、最近になってそういう道もあったかなと思うようになった。クラスを持てなくても授業に乱入することはできそうだし、部活を持てなくても子ども達と一緒に遊ぶことはできそうだ。校長の仕事は大きい。学校は子ども達と直接関われる担任が基本だが、その先生達を温かく見守る校長の存在がとても大きい。

校長経験のない僕だが、校長の仕事のことを話せる歳になってきた。校長の仕事ははっきりとしている。まず「学校の雰囲気を明るくすること」である。職場の空気を明るくするというのは、立派な仕事だ。あなたが将来校長になろうとしているなら、そのことに気づかなくてはいけない。「雰囲気を明るくすることは、校長の大きな仕事」である。校長試験や教頭試験は“管理職試験”と呼ばれているから、何かを「管理しなくては」と思うかも知れないが、そうではない。まずは職場の雰囲気を明るくすることに務めることだ。そのことに気付かないと、学校は荒れていく。

校長が明るい雰囲気を作ると、先生達の心が開放される。心が開放されると、いい仕事ができる。当たり前のことである。先生の仕事は子ども達と向き合わないとできない。それこそ、偉そうなことを言っているだけでは「仕事」とは言えないのだ。子ども達の目を見て、クラスや授業を明るいものにしながら、子ども達を育てていくには気持ちに“余裕”がないといけない。その余裕が「学校の明るい雰囲気」である。

最近は親からのクレームが多い。若い先生達がそのことで独りで悩み、鬱状態に・・・そして自殺。そういう学校には校長はいても「仕事」はしていない訳だ。仕事のできる校長なら「俺に任せろ!」「俺が話をする」「担任を君に決定したのは俺だ!」「こういう時の為に校長がいるんだ」「君は子ども達に集中しろ」「大丈夫だ、みんながついている」「何とかなるものだよ」先生達が悩んで、病気になったり死んでいくのは、こういう校長がいないからである。この間も近隣の学校で初めて担任をした若い先生が亡くなった。孤独を感じない限り、人は死を選ばない。仲間の温かさ、上司の力強さを信じているものは決して死ぬことはない。

校長の顔色を伺う学校が増えてきた。教育委員会の顔色を伺う校長も多い。そういう学校には「明るい雰囲気」はない。そういう雰囲気の学校で育つ子ども達は可哀そうである。
「人生の中でかけがえのない六年間」「人生の中のかけがえのない三年間」を明るい雰囲気を体中で心一杯に感じて育つ子どもたちと、不安で暗い雰囲気を感じながら育つ子どもたちとの差は大きい。

学校の雰囲気を暗くするのは「犯罪」に等しい。いつも人の粗を見つけては怒るような校長(先生)になってはいけない。恐い人に人間は従うが、それは好きで従っているのではない。嫌々従っているだけだ。人間は「好きな人」の言う事を聞くのである。「好きな人」の為になら自分を捨てても頑張るものなのだ。それはいつの世の中も変わらない。校長と先生達との関係も先生と生徒達との関係も同じである。

暗い雰囲気、恐い雰囲気を持つ人間を心から好きになる人はいない。「昇進」や「異動」をちらつかせる校長が先生達から信頼されることはないし、「成績」をちらつかせる教師が子ども達から信頼されることは決してない。みんな嫌々言うことに従っているだけだ。要するに「仕事量はゼロ」あるいは「マイナス」である。

人間は好きな人の為になら、力以上のことまでやり遂げるものだ。それこそ「教育は愛」なのだ。学校中を「愛」や「熱」で一杯にすること。それが校長の仕事である。まずは自分自身が笑顔でいること。笑顔で先生達のいいところをたくさん見つけてあげること。そして先生達があなたのことを好きになったら・・・駄目なところを直してあげればいい。
気になるところがたくさんあったら、一日も早く相手に好きになってもらうことだ。それが校長としてあなたが一番最初にする仕事である。

「駄目な教師が多い」とボヤいてはいけない。それはあなた自身が駄目な校長であるということを意味する。駄目な生徒がいないように、駄目な教師だってあなたがいれば何とかなるのだ。
あなたは子ども達から好かれることは得意なはずである。「甘やかす」だけじゃあ馬鹿にされるだけで好きにはなってくれないし、「恐い」だけでは、言うことは聞いても好きになってはくれない。どうしたら子ども達が自分を好きになるか・・・答えはあなたが知っている。そう「自分が子ども達を好きになればいい」のだ。校長だって同じだ。自分の学校の先生達をまず好きになること。嘗ての子ども達に注いだ愛情と同じものを先生達に注ぐこと。それができるから、あなたは今「校長」なのだ。

あなたが校長を目指すなら、次のことは覚えていて欲しい。「校歌」は一日で覚えて、大声で歌えるようにする。「先生達の名前」着任前に完全に覚える。「子ども達の名前」は、最初の一ヶ月で全員覚える。「自習」の時間があったら、お話をしに教室へ行く。常にお話のトレーニングだけは欠かさない。何故なら、校長の授業は「お話」しかないのだから・・・。つまらない話をして高い給料をもらってはいけない。あなたの話を聞いていない子ども達がいたら、それはあなたの話に魅力がないからだ。反省して「仕事」になるような話を勉強することだ。学校の掃除を率先してやることは勿論だが、何よりも明るい雰囲気を学校中にばら撒くこと。それには先生達(子ども達)の真の声に耳を傾けることである。先生達の本音を聞いて、先生達の力を出し切らせて学校を組織の力で運営していく、それが校長としてのあなたの仕事なのだ。


価値のあるものを生み出すこと、人の役に立つこと。それが「仕事」だ。価値のあるものを生み出してなければ、人の役に立ってなければ「仕事」をしていることにはならない。僕は先生にそう習った。人に生まれてきたからには、残りの人生でいい仕事がしたいものだ。