7月23日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第203弾! 2009.7.23(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第203弾! 2009.7.23(木)  たかやん

足が動かない・・・
昨日1時間だけテニスをやった。相手はHさん。僕より8歳ほど上の方なのだが、ボールのコースが鋭い。僕はシングルスを戦い・・・ギリギリのところで6−4で勝ったのだった。反省点はやはり足だ。厳しいコースにボールが来ると、追いついても、まともなボールが返らないのだ。これはトレーニング不足だと思った。このところ、筋トレはしているのだが、走るトレーニングは全然してなかったのだ。ダブルスでは気付かなかったが、シングルスをやって、自分の足が動いていないことにやっと気づいたのであった。今日から走るぞ!と。

習い事
今日の空は忙しかった。9時から10時半は殿山で「サッカー」1時から2時が幼稚園で「アトリエ教室」そして3時10分から4時半まで後楽園スイミングで「水泳」習い事を一度もしたことのない僕と違い、空は3つも習い事をしている。それが今日は全部重なったという訳。父親としては、将来一緒にやれるテニス、サッカー、囲碁、将棋などができるようになって欲しいのだが・・・・・空は空だからなあ・・・

カサジ
夕方、買い物から帰ってくるのと同時に「共産党」の看板をつけた車が、我が家の駐車場の前に止まった。見ると、カサジと大輔がいる。僕は思い切り手を振って、車を止めてから、カサジの演説を聞きに行ったのだった。

志井さんの演説
今朝の赤旗に志井さんの演説が掲載されている。読んでみて、なかなか凄い演説だと思った。カサジの議場での演説はいつも鋭く格好いいが、今日の演説も志井さんの演説と中身が同じで、説得力のあるものだった。共産党の凄いところはブレないところだ。そして、新座の共産党市議団が毎週発行する「新座民報」も凄いと思う。継続は力なりなのである。

赤旗
この間、あの野中広務が赤旗のインタビューでこう言っていた。「52年の政治生活を通じて『宿敵』だったあなた方(『赤旗』)に私の思いを語るのも、いまの時代が、そうさせるのだと思います」「一つ足を踏み出したら取り返しのつかないことになることは20世紀の戦争の一つ一つが物語っています。私は、この事実だけは何があろうと忘れてはいけないし、日本はあくまでも憲法の掲げる理念に則って国際平和に貢献すべきだと思います」その通りだと思う。この国の憲法の理念を信じている人間は、共産党や社会党の人間だけではないのだ。自民党の幹事長だった人間も、あの戦争を経験しているから、理解できるのである。

戦争
僕は戦争を知らない。だけど、実際に戦争を体験し、愛する人を失って、泣いてきた人に育てられて生きてきた。社会党を支持し、共産党を支持し、そして自民党を応援してきた人に僕は育てられてきた。彼らに共通していることは「戦争だけはいかん」ということだ。歴史を知らない、威勢のいい若者たちは「憲法改正」を叫んでいるが、彼らは無知なのだ。戦争の悲惨さを全く理解できないのだ。頭が悪いとしか言いようがない。僕は無所属だ。森田健作じゃあないけれど、本当の無所属だ。だけれど、憲法を改正しようという動きだけには断固反対する。戦争ができる国にしてはいけない。僕の子どもたちや孫たちを戦争に行かせる国にだけはしたくない。戦争は人殺し以外のなにものでもない。愛国心とは愛する人を死なせないこと。愛する人を「人殺し」にしないことだ。

仏教
僕の体に流れる血の半分はお寺の血である。仏教は「殺してはならぬ」と教えている。そう「殺してはいけない」のだ。相手が海賊だろうが、イスラム原理主義者だろうが、殺すことは仏教の教えに反するのである。君が代を歌い、日の丸を掲げて人殺しをしてはいけない。それは「仏教の教え」に反するのである。それでは「君が代」も「日の丸」も泣くのである。「君が代」と「日の丸」が戦争の道具にされては堪らない。愛国心は強制されるものではない。親が子供を愛するように、子どもが親を愛するように、自然にわき出てくるものなのだ。それを強制されてはたまらないのである。愛国心を強制する人間こそ、実は自分や自分の考えが大事であり、「愛国心」の欠片もないの人たちなのだ。