7月3日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第183弾! 2009.7.3(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第183弾! 2009.7.3(金)  たかやん

断念
今朝も5時に起きた。志木駅での駅立ちの用意をする。ところが・・・チラシがないのだ。ひばり、久留米、新座の各駅での駅立ちで、余りにもビラが捌け過ぎて・・・・配るチラシがなくなってしまっていたのだ。こんなことは初めてな訳で・・・・結局、志木駅の駅立ちは幻に終わったのだった。

栗原
今日は栗原地区を重点的にポスティングした。最初は徒歩だったが、時間がなかったので自転車で・・・・結構広い範囲でポスティングができたのだった。

キャッチボール
午後からは塾。高1と中3の男の子だけだったので、休憩時間に外でキャッチボールをした。小学生用の小さな軟式ボールと、ボロボロのグローブだったけど、キャッチボールをすることで久しぶりに子どもたちと一体感を感じたのだった。

大貧民
今から32年前に僕は新座の中学生達に「大貧民」を伝えた、その当時ルールと今のルールは余りにも違いすぎ得るのだが。当時のルールの方が、今のルールより遙かに頭を使うことが分かり・・子どもたちはその面白みにはまっていった。

しっぺ
5回目に負けるとしっぺという約束での「大貧民」は子どもたちをマジにさせた。滅多に起きない革命の中で、いかに脳みそを使って勝っていくか・・・・それがこのゲームの面白いところだ。

五中時代
休み時間によく大貧民で子どもたちと遊んだ。卓球もやったし、ハンカチ落としもやったし、泥警もやったけど・・・・授業以外の時は、大いに遊んだ記憶がある。

呼び出し
21年間の教員時代、いつも子どもたちと一緒にいたせいもあったけど、親を呼び出すということには抵抗があった。よほどのことがない限り、学校で起きたことは学校で対応していた時代だった。

不況
世の中は不況である。そのことに一番鈍感なのは教師かも知れない。だから詰らないことで親を呼び出すことになる。何でも親のせいにしておけば、自分の生徒指導の未熟さは隠せるかも知れない。だけど、その代償は大きい。子どもたちや親に信頼されなくなるからだ。今の時代に仕事をしている親を学校に呼び出すことの非常識さを少しは考えた方がいい。「飲酒」「喫煙」「万引き」というレベルでも、昔の教師たちは親の責任にはしなかった。自分たちの指導力のなさだと思っていたのだ。だから真剣に怒った。陰湿な「いじめ」とは違う次元なのだ。中学生達はいろいろなことをやらかす。それは今も昔も同じ。違うのは大人の方なのだ。学校の先生にイチャモンをつける親。何でも親のせいにする教師。そんな大人たちの中でまともな子どもが育つはずはない。「先生」がいつでも正しいわけではない。「親」がいつでも正しいとは限らないのと同じように・・・・