8月16日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第227弾! 2009.8.16(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第227弾! 2009.8.16(日)  たかやん

オートバックス
タイヤを交換しにオートバックスに行った。すると目の前に有紀ちゃんがいた。「あれ、たかやん!」この間はいなげやで会ったばかりなのに・・・今度は敬は勿論、「あお」や「八雲」にも会えて、タイヤ交換を待っている間もニヤニヤしっぱなしだった。すると、「陵平のところで会った方ですか?」と声をかけてくれた店員さんがいた。「あ!分かるよ。・・○○ヤ君だっけ?」「はい、そうです!」去年、陵平の命日で会った子がオートバックスで働いていたのだ。声をかけてくれたことが嬉しくて、僕は陵平のお母さんに電話をしてしまった。

先生からの手紙
古川 溥(ひろし)。82歳。僕の高校の先生である。石神井高校庭球部顧問の古川先生は教育大を卒業して都立高校の先生になった。僕が先生と出会ったのは今から40年前。僕が15歳、先生が42歳の時だった。今から見れば42歳なんて、まだまだ「青二才」のような年齢だし、「若さ」の塊のような年齢なんだけど、当時の僕には「おっさん」以外の何者でもなく・・・本当に煙たい存在だった。15歳の僕は先生に逆らってばかり・・・劣等性だった僕は優等生が好きな先生に反発ばかりしていた。勉強でも認められず(当たり前、勉強してないんだから・)テニスでも誉めて貰えず、僕は18歳になっても先生には「壁」を作っていた。
その壁が壊れたのは大学に入ってから。北大庭球部にはいり、1年生からレギュラーになって、全国学生王座に出場した僕を、先生は石神井の後輩の前で、思いっきり誉めてくれたのだ。その一言で僕は嫌いだった先生が好きになってしまった。
そして、新座五中で僕が「硬式テニス」を始めたことを知った先生は、僕を「関東ジュニア委員会」に引き込んでいく。あれ程、いい加減だった僕を「最高の生徒だった」と周りに言いふらしていく・・・・僕が28歳の頃のことだ。僕はそれから古川溥を本当の師匠だと思うようになる。その師匠から昨日手紙がきた。便箋5枚にびっしりと書かれた手紙を読んで、僕は泣いてしまった・・・。先生の手紙は「テニスへの思い」と「不出来な生徒」に対する愛情で溢れていた。古川溥82歳。今でもテニスラケットを持ち、年に一度旧制高校の対抗戦だけには本気になって燃える男。数学の授業では毎回ガリ版のプリントを配り、完璧な授業をした男。「たかむら、そんなことは枝葉のことだ。君がやっていることは間違ってない。いつも子ども達のことを見ていればいいんだ。」「たかむら、教育っていうのは繰り返すことなんだよ」と教えてくれた先生。その先生が、僕の議会報告を読んで、「なんだか元気になった」と手紙を書いてくれた。「たかむら、いい文章っていうのは読むと元気になる文章なんだ」と言っていた先生。僕もまた、82歳の先生の手紙から「元気」を貰ったのだった。
先生、石神井の同窓会、行きましょうね。そして久しぶりにダブルスを組んで、若いのをやっつけましょう!!

通告
今までの反省を生かして・・・今回の質問項目はかなり少なくしてみた。教育・道路・福祉・医療・施設問題・・・で合計6項目。初日に質問する積りである。そろそろ1時半を回る。明日も5時起き。寝なくっちゃ!