8月8日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第219弾! 2009.8.8(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第219弾! 2009.8.8(土)  たかやん

寝坊
久しぶりに寝坊した。朝からポスティングに行く予定だったのだが、体が動かなかったのだ。でも、空が元気で起きてきたので、めでたし、めでたし。子どもが元気なら、親はそれだけで幸せだ。

敬と和
いなげやで久しぶりに敬と会った。石原敬、20年前の六中テニス部の卒業生である。今から11年前、僕が学校を辞めて最初に行ったのがカナダのトロント。そして次に行ったのが、敬と和が住んでいたニューヨークだった。マンハッタンのバッテリーパークの傍のアパートには僕だけでなく、息子の亮もお世話になっていたのだから不思議な縁である。そのアパートには六中バスケット部のキャプテンだった有紀ちゃんも住んでいたことがあり・・・今では敬の奥さんになっている。

20年前
敬と和そして有紀ちゃんはもう35歳になった。そして、その年は僕が彼らを卒業させた年でもあるのだ。六中最初の赤ジャージ。彼らと過ごした3年間の思い出は尽きない・・・。六中赤ジャージの1年2組から「一生懸命」の毎日発行は11年続いた。5中でも毎日のように書いてはいたが、本当に休みなく毎日書いたのはあの1年2組が初めてだった。

新座片山
全国少年サッカーの決勝を見ていたら、フランケン先生の後姿が見えた。空が片山幼稚園で習っているフランケン先生がテレビに映っていたのだ。名古屋グランパスの華麗なサッカーに対して、新座片山は走って、走って、走るスタイル。まるで、あの時の赤ジャージの子たちが、全国大会でクラブテニスの子たちと戦っているようだった。五中も六中も苦しい練習だけは、どこにも負けないと思っていた。あの坊主頭も一緒。フランケン先生も坊主頭。まるで昔の六中テニス部だ。新座片山の走るサッカーは僕を20年前に連れ戻してくれたのだった。


そして夕方には和とも会った。和はポルシェに乗って登場した。あの9.11の時には総理大臣の通訳をした和。僕らがニューヨークへ行ったときは、ワシントンに行っていて会えなかったのだが、久しぶりに日本で再会できた。和は昔のままだった。20年前に3年2組を卒業した時のまま。勿論、芸術家だし、有名にもなっただろうけれど・・・僕の前に座っている和は、あの頃のままの和だった。それが嬉しかった。

カサジ
「困ったときは共産党に相談するといいですよ」というメールも来た。成る程、そうなのかも知れない。カサジに相談してみるのも一つの選択肢だ。

独り
「こういう時に一人会派は大変なんですよね」という電話も来た。成程、そうなのかも知れない。でも、独りの道を選択したのは僕自身。誰のせいでもない。

ありがとう
みんな心配してくれて本当にありがとう。一人会派だけど、たくさんの応援団がいてくれることを嬉しく思います。たかやん